キース・ヘリング生誕60年記念コラム|第1回「キース・ヘリングの生涯」

January 25th, 2018

 

(本記事は「東京レインボープライド」からの転載記事です)

 

みなさま、新年明けましておめでとうございます。

 

本コラムは、東京レインボープライドと中村キース・ヘリング美術館のタイアップ企画として、80年代のアメリカ美術を代表するアーティスト、キース・ヘリングの活動を、彼の作品とともに振り返る全5回の連載です。第1回では、キース・ヘリングの生涯についてご紹介いたします。

 

本旨に入る前に、まずは当館について簡単にご紹介いたします。中村キース・ヘリング美術館は、キース・ヘリング財団(在ニューヨーク)の認可を受けて2007年に山梨県北杜市小淵沢町に開設された、キース・ヘリング作品を展示する世界唯一の美術館です。
当館のコレクションは、館長・中村和男が1987年から蒐集を始め、現在200点以上にのぼるヘリング作品を核に構成されています。

 

 

●中村キース・ヘリング美術館の外観

 

さて、みなさんはキース・ヘリングにどのようなイメージをお持ちでしょうか。

 

 

Untitled (People) 1985

 

例えばこの作品に見られる目も口も描かれていない、シンプルな輪郭だけの人のような形。踊っているようにも、戦っているようにも見えてきます。鮮やかでカラフルな独特の色づかい。ヘリングの名前を知らない方でも、きっとどこかで一度は彼の絵を見たことがあるのではないでしょうか。中には、このコラムのタイトルを見て驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。今年でヘリングは生誕60年。日本でいうと還暦を迎えます。

 

1958年、ペンシルバニア州に生まれたキース・ヘリングは、両親と3人の妹たちとともに幼少期を同州カッツタウンで過ごします。アート好きの父、アレン・ヘリングの影響により物心つく前から絵を描き始め、ウォルト・ディズニーやドクター・スースのアニメやコミックに夢中になりました。
高校に上がる頃から次第に独立心も芽生え、新聞配達などのアルバイトを始め、裏では不良グループの一員にもなります。アーティストになりたいと強く思うようになったのもちょうどこの頃でした。
高校卒業後は故郷カッツタウンを離れピッツバーグの職業美術学校に通い始めるも中退。自分にとって大切なことは、アートで食べていく方法を学ぶことではなく、アーティストとして成功することだと気がついたのです。1978年、ヘリングはニューヨークへ移ることを決心します。

 

ニューヨークでは美術の名門校スクール・オブ・ビジュアル・アーツに奨学生として入学。ペインティングだけでなくパフォーマンス、ビデオやインスタレーションなどあらゆる手法を試みます。この頃、マドンナやジャン=ミシェル・バスキアら後にともに活躍することとなるアーティストたちとも出会いました。そして80年代のニューヨークという街にインスパイアされて生まれたのが《サブウェイ・ドローイング》というグラフィティです。

ある日、地下鉄を乗り換えるときに広告ポスター用の掲示板に黒い紙が貼られていることに気がついたヘリングは、その紙の上にチョークでドッグやベイビーを走り描きし始めます。ときには1日40箇所以上に《サブウェイ・ドローイング》が描かれ、人々が地下鉄のいたるところでヘリングのドローイングを目にするようになる頃には、彼の名も広まり始めていました。

 

また1980年の初個展以来、クラブやシアターなど画廊以外でも展覧会を開催し自らキュレーションも手がけます 。
1982年の「ドクメンタ」(ドイツ)、1984年の「ヴェネチア・ビエンナーレ」(イタリア)など世界各地で開催される大規模な国際展にも作品を出品するようになり、アーティストとしての地位が確立されていきました。

 

次々に作品を発表する傍らクラブカルチャーにも没頭します。中でも、当時熱狂的な盛り上がりを見せていたクラブ、「パラダイス・ガレージ」に毎週通い詰め、ナイトライフで構築された交友関係はアーティストとしての活動にも多大な影響を与えました。
また、ヘリングはドローイングを通して自分の思想を発信し続けるアクティビストでもありました。一見すると楽しげにさえ見えるような作品の中にも、政府への批判や大衆への意識向上のメッセージがシンプルな線で表現されています。

 

そのアーティスト人生を一心に突き進んできた青年に大きな危機が訪れたのは、1988年の夏のことでした。当時アメリカ中で蔓延していたエイズがヘリングの身にも発症しました。エイズが「死の病」と呼ばれていた時代のことです。

 

「始めはとにかくうちひしがれたという感じだ。どうしようもないほどうろたえる。あのね、予期していなかったわけじゃないけど、実際にそうなってみると、心構えもなにもあったもんじゃない。そうなるとだれだって最初にすることは泣くことさ。(中略)致命的な病を抱えて生きるとなると、生きるということに対してそれまでとは全然違った見方ができるようになる。生きていることのほんとうの価値を知るために、死の恐怖にさらされる必要があったというわけじゃないよ。ぼくはいつだって生きていることの大切さがわかっていたからね。いつでもできるだけのことをして精一杯生きていかなくちゃいけないと思っていた。」*

 

切迫する状況の中でも、それまでと同じように全身全霊をかけて描き続けました。子どもたちのために、平和な世界のために、平等と自由のために世界中に作品を遺した稀有なアーティストは1990年2月16日、31歳でこの世を後にします。

 

短い生涯を全力で生きたキース・ヘリング。次回は、生涯を通じて取り組んだパブリックアートに焦点を当て、ヘリングが大衆とどのように向き合い、何を訴えかけたのか、その活動についてご紹介いたします。

 

文/田中今子(中村キース・ヘリング美術館)
*ジョン・グルーエン『キース・ヘリング』(リブロポート、1992)
 
●展覧会情報
「Drawing Social Impact キース・ヘリング:社会に生き続けるアート」
場所:中村キース・ヘリング美術館
〒408-0044 山梨県北杜市小淵沢町10249-7
期間:2018年2月9日(金)— 11月11日(日)
詳しくはこちら:http://www.nakamura-haring.com/exhibition/

 

(本記事は「東京レインボープライド」からの転載記事です)

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