近年、LGBTをテーマにした『LGBT映画』が増えている。
最近だけでも「キャロル」や「リリーのすべて」「イヴ・サンローラン」など、話題作が次々と公開され、世界的にもLGBT映画が盛り上がりをみせている。
そこで今回は、日本を代表するオープンリーゲイの映画監督 橋口亮輔氏と、ゲイエロティックアートの巨匠 田亀源五郎氏に、「LGBTと映画」についてスペシャル対談を開催!
20年以上日本のゲイシーンを牽引してきたお二人は、意外にも初対面とのこと。
本対談では、橋口監督のゲイ映画から国内外のLGBT映画、現在のLGBTシーンに至るまでを徹底トーク!話に花が咲いたロング対談をお届け。
───橋口監督のゲイ映画『二十才の微熱』『渚のシンドバッド』『ハッシュ!』の製作秘話について───
田亀 橋口さんは日本で数少ないオープンリーゲイの映画監督ですが、ゲイテーマの『渚のシンドバッド』や『ハッシュ!』を作る際に、何か障害はありましたか?
橋口 テーマがゲイだからっていう障害はなかったですね。
ただ、日本映画界に20数年いますけど、仲間には入れてもらえてないっていうのは感じますね。なんせ日本映画界はマッチョだから。
例えば、『ぐるりのこと。』で賞をとった時、華やかな映画祭の会場で、映画界の大御所たちに「ああ、あんた何だっけ?オカマの映画のタイトルって何だっけ?」「あんたオカマなんだろう?」と、ずーーーっと言われましたよ。
田亀 日本映画界は重症ですな…。
橋口 また、『ハッシュ!』で大変評価していただいて、次作の『ぐるりのこと。』撮る時に、「こんな地味な話じゃお金でないよ!『ハッシュ2』だったらいいのに」って、3人のプロデューサーに言われました。
私は10年で3本ゲイの映画を撮ってきて、「ここまで持ってこれたかな」っていう実感がありました。これまでゲイを扱った映画とは違い、ゲイをごくごく普通の人として描いて、なおかつビジネスにもなるよ、っていうところまで持ってこれたのは一つの功績だと思っています。
そして次はゲイ映画じゃない、普通の夫婦の話を撮ろうとした時にこんなことを言われたので、とても矛盾を感じましたね。
田亀 確かにそのジレンマはありますよね。ゲイテーマの作品で話題になった監督が次作を作る時って、「ゲイもの」っていうイメージがついてしまっていますよね。
橋口 僕は「ゲイが売り」だなんて思っていないし、そもそも「ゲイ映画を作っている」という感覚がないんですよ。
田亀 そこの部分をお伺いしたかったのですが、私の場合はゲイに思い入れがあって長年ゲイ作品を制作してきました。
最近一般誌に連載もするようになったのですが、活動媒体も含めてゲイというテーマにずっとこだわってきました。
橋口さんはおそらく私とは異なっていて、橋口さん自身がゲイである以上、興味あるモチーフに自然にゲイが絡んでいるだけなのかなと思います。
橋口 そうそう。僕は基本的に作品は自分自身なんですよ。
最初『二十才の微熱』製作中は、自分がゲイであることは隠していました。
映画製作中、ずっと製作陣やキャストから「ゲイが分からない」って言われ続けてきたんです。
みんな僕がなんでゲイテーマの作品を撮るんだろう?って不思議に思っていたんでしょうね。「小さい時にゲイにレイプされたトラウマでもあるの?」なんて聞かれたこともありました。
どうやってみんなに、作品のテーマであるゲイを分からせようか、ずっと悩んでいました。最終的には、ゲイ以外のテーマでは青春映画ということで、ようやく製作側が理解してくれた。
ゲイであることを隠して映画を撮っていると、自分の映画なのに、そうじゃない感覚がしてきてすごく苦しくなったんです。
そこで映画を1/3ぐらい撮ったところで、主演の袴田吉彦を呼び「僕はゲイで、だからゲイをテーマにした作品を撮っているんだ」とカミングアウトしました。
自分の映画を自分の手に取り戻そうとした挙句、自分で最後に出てしまったっていう、、、鬼っ子みたいな映画でした。
自分の中では完全なる失敗作だと思っていましたけど、公開したら大ヒットしてゲイブームが訪れて。その時は「なんでこんなダメな映画なのに評価されるんだろう…」って思っていましたね。
次作『渚のシンドバッド』は、自分の高校時代をもう一回正しい形で作り直したいという思いで撮った作品です。もちろんフィクションですけどね。
高校の時、初恋の先輩が大好きで大好きでたまらなかった。
それを胸に秘めていて、あの時の自分の気持ちを世に出してあげたい、高校時代の時間を埋めるつもりで作った映画ですね。
『ハッシュ!』は子供を作る話ですけど、おすぎさんからは、「あたしは古いオカマだから、女と子供作るなんてありえない!」って言われましたね。いやいや、おすぎさん、あれは映画ですからと(笑)
田亀 なるほど(笑)
今だと欧米ではゲイカップルによる子育てが増えています。そういう意味で『ハッシュ!』は先取りをしていたのかもしれませんね。
───ゲイと社会の関わり合いについて───
田亀 橋口作品では、主人公に近いところに必ず女性が登場しますよね。作中に女性を登場させるのは、なにか表象的な意味合いがあるのでしょうか?
もっと「ゲイのリレーションシップだけを撮ってみたい」というお気持ちはなかったですか?
橋口 うーーん。それはなかったですね。
たぶん処女作の『二十才の微熱』で思いっきりゲイをやったからなのかもしれない。その時周りに「ゲイが分からない」って言われ続けてきて、その後『渚のシンドバッド』の時に女性を絡めることで、物語がうまく成立した。
なんというか、ゲイコミュニティの世界だけを描いていると、いくら心理描写を細かくやっても、分かりづらい部分がある。そこに女性を入れることで、いろんな人の視点、いろんな価値観が加わります。
ことさら「ゲイだって切れば赤い血が出るんだよ。普通の人間なんだよ」って描き方をしなくても、それが表現できてしまう。
さきほど言ったみたいに、映画は自分自身のことなんですよ。
自分から出発しているものだから、常に普遍にしようと思っている。
これは自分の話だし日本の話だけど、世界中どの国の人がみてもわかる話を作ろうと思ってやっています。それが現れたんじゃないかな。
女性の登場人物に自身を投影するし、もちろん男性にも投影するしで、映画のいろんなところに自分の一部分がいる感覚。そんな一部分たちを戦わせることで、その全部が僕自身なんですよ。
田亀 なるほど。
私はゲイポルノ作品をやっているというのがあって、ゲイしかいない奇妙な世界を描いています。
私の解釈としては、世界はいろいろあって、そのどこにフォーカスを定めているかってだけの話で、私は単純にゲイポルノにフォーカスを当てているだけなんですよね。その外側にいろいろあるのは当たり前だという前提があります。
今やっている連載『弟の夫』は初の一般誌向け連載で、ヘテロ読者向けのゲイ漫画として、ヘテロの目からみたゲイカルチャーを描いています。
メインのゲイは外国人なんですが、それを日本人でゲイのキャラクターとなると、「ゲイと社会との接点」というのがすごく作りづらくなるんです。
例えば、二丁目みたいな閉じた空間で行われる週末劇みたいなものは、日常的なストーリーとコミットしづらい。
それを無理やり結びつけようとすると、逆に差別やクローゼットとかカムアウトなどの問題になってしまう。
なんというか、ゲイのライフスタイルを描いたドラマを、いわゆる「普通の日常」とのつながりで書くというのが、日本社会の現状としてすごく難しいんです。
なので、外国人ゲイというのは、作劇的には逃げとも言える。
そういう実感があるので、日本の社会の中でのゲイの映画を描くとなると、妙に閉じた結果になりそうな気がします。
橋口 おっしゃる通り、ある人物がゲイかどうか描く時に、ゲイも世の中と関わりを持って生きていますよね。
よく「橋口さんって職業を描きますよね」って言われるんですけど、職業で社会と関わり合いを描かないと、「この人が世の中にいる」ということが成り立たなくなる。
だから、ゲイをテーマにした映画でも、その世界に全く女性が出てこないっていうのは不自然なんです。
ちなみに女性といえば、「橋口さんって女に厳しいですよね〜」って周りによく言われますけど、いやいや、女性に幻想がないだけですからと(笑)
田亀 「幻想がないだけ」っていうのは、すごくストンと腑に落ちますね(笑)
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