「外見至上主義」の多いゲイ社会を嘆く、米ゲイ雑誌OUTのエディター、ファビアン・ブラスウェイト氏のコラムを以下紹介したい。
見た目の不安が、僕を離さない。
鏡の前で何時間も自分の体を舐めるように見回し、わずかにはみ出した肉をつまんでは落胆する。腕を曲げて、腹筋と胸筋に力を入れては、セルフィーを何枚も撮る。
僕は、自分の体に自信が持てなくてデートもロクにできない。
医師に診断されたわけではないけれど、僕は筋醜形恐怖症(Muscle Dysmorphia Disorder)だと確信している。
身体醜形障害財団(Body Dysmorphia Disorder(BDD)Foundation)の定義によると、筋醜形恐怖症とは、たくましい体にも関わらず「自分の身体は貧弱なのではないか」と不安に思ってしまう精神障害のことをいうそうだ。
「ビゴレクシア(bigorexia)」や「アドニス・コンプレックス(Adonis complex)」とも呼ばれるこの障害の特徴的な症状としては「筋肉増量のために異常に長い時間と労力をウェイト・リフティングに費やす」「摂食障害にかかっていたり、特別な食事療法をとっていたり、プロテインを過剰に摂取する」「見た目を異常に気にする」「精神的苦痛を感じていたり、精神が不安定」などが挙げられる。拒食症及び関連の摂食障害(Anorexia Nervosa and Related Eating Disorders)という非営利組織によると、筋醜形恐怖症にかかっているほとんどの人は、鬱にも悩まされているという。
僕は、上記の症状にどれも当てはまってる。
ゲイ男性は、自身の身体像により敏感なため、筋醜形恐怖症に特にかかりやすいと言われている。摂食障害と診断されるストレート男性が5%であるのに対し、ゲイ男性は15%とその割合はストレート男性の3倍にも上る。
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また最近の調査によると、ゲイ男性の45%が自身の”男らしさ”に満足できないばかりか、ストレート男性よりも「過剰なまでの見た目の評価」「見た目ベースの人間関係」「”魅力的であれ”というメディアからのプレッシャー」にさらされているという。
今読んでいるこのメディアを含め、主流なゲイメディアのほとんどに、数え切れないほどの上裸で、異常なほどに筋肉質な、そして多くの場合白人のシス(性自認が身体の性と一致した)男性を見ることができる。ゲイアプリとカルチャーはほとんど連動しているから、グラインダーなどのゲイアプリでも同じような状況を見ることができる。自身で好みのユーザーをフォローできるインスタグラムの状況はさらに深刻だ。
僕は、1,200人以上の筋肉質なユーザーをインスタグラムでフォローしていて、彼らは僕を魅了すると同時に見た目の不安から離してくれない。時に、彼らの画像を見続けるのは辛いものがある。「隣の芝は青い」ということを理解できれば解決するのかもしれないが。
アフリカ系アメリカ人の女優レスリー・アガムズがミュージカル「ハレルヤ、ベイビー!(Hallelujah, Baby!)」で「一番になるか、全てを失うか(I’ll be the best or nothing at all)」という20世紀初頭のアフリカ系アメリカ人の苦悩を歌ったあの曲が、僕の胸に突き刺さる。
競争社会において、黒人は「半分を手に入れるために2倍頑張れ」と言われる。ゲイコミュニティに存在する黒人にとって、この言葉は痛いほど的を得ているのだ。僕は、半分を得るために見た目を美しくすることに励んでしまう」
「思い起こせば、僕は自信がゲイであるということに気がつく前から男性の体に執着し、筋肉増量に熱中していた。その執着は、ほどなくして、ジム通いに留まらず好みのタイプから性癖に至るまで、あらゆることに影響を及ぼし始めた。スカトロプレイやロールプレイにハマる人がいるように、僕は筋肉フェチに走った。昔はこのフェチの理由がわからなかったが、今はこのフェチが自分の見た目に対する不安に起因していることが手に取るようにわかる。
「完璧な体の持ち主と一緒にいたい」という気持ちは、単なる願望に収まることはなく、僕自身の見た目を否定し続ける。「僕も君のような見た目だったらな」「僕の体は君ほど良くないよ!」という思いが、見た目に対する執着を取り返しのつかないものにするのだ。もはや自分のことを確認せずに鏡を通り過ぎることはできないし、グラインダーやインスタグラムの魅力的な見た目の男性と自分の見た目を比較しては、嫉妬に苛まれて居た堪れなくなる。
「ジムに通う意味、あの重りを上げ下げする意味、有酸素運動に毎朝取り組む意味、食事制限を徹底管理する意味は一体なんだ?いくら努力してもあの魅力的な体には程遠いのに」。そう考えてしまったら最後、僕の気持ちは沈みに沈み平常心を保てなくなる。「一生懸命何かに取り組む意味は、何かを犠牲にする意味は、僕に価値ってあるのか…?」
僕は自分の体以外に男性に提供できるものを持っているのに、彼らは体以外には興味を示さないようにみえる。だから僕はアプリでメッセージが返ってこない時、その理由を自分の身体的な魅力のなさに求めてしまう。加えて、ゲイアプリでは、個々のオリジナリティよりも均質的な”男らしさ”が崇拝されているため、非白人男性にとっては不公平なほどに分が悪いと言えるかもしれない。
そんな理由で、僕はデートができない。誰とも一緒になりたくない。セックスもしたくない。僕にとってグラインダーやインスタグラムを使うことは、一生懸命築いてきた自尊心の破壊にしかならない。
ゲイアプリやSNSの使用を止めることは、応急措置になるかもしれない。でも、自分を立て直す為には、月並みな言い方だけど、自分を愛することを学ぶことと、自分を愛する価値があることを信じるよりほかないのだろう。
言うは易く行なうは難しだけど…