みなさん、こんにちは。
東京レインボープライドと中村キース・ヘリング美術館による連載コラム、第1回ではキース・ヘリングの生涯をご紹介いたしました。今回のテーマは「キース・ヘリングとパブリックアート」です。
はじめに、パブリックアートとは、公共の空間に設置される芸術作品を意味します。パブリックアートには、記念碑的なものや壁画、光や音などを使ったアートもあり、公共の場に展示される作品は、誰もが自由にいつでも鑑賞することができます。ときには、思いがけない形で街角に設置されている作品と出会うことになったり、見慣れた風景のなかに作品が置かれているために違和感を覚えたり、あるいは街が新鮮に見えたり、街自体が活性化するなど、あらゆる形で作用します。
第1回のコラムで登場した《サブウェイ・ドローイング》は、ヘリングが大衆とのコミュニケーションを最初に試みた手法です。ヘリングはこのプロジェクトを開始するにあたり、建造物や自然の中など規模の大きな公共へアートを展開するアーティスト、クリストとジャンヌ=クロードや、ニューヨークの路地や地下鉄の構内、車両へスプレー塗料などを用いてグラフィティを描く、ストリート・アーティストたちに多大な影響を受けました。美術館や画廊ではなく、階級や人種の異なる人々が日常的に使うニューヨークの地下鉄を表現の場とすることで、一般の観衆を獲得することに成功したのです。
その後ヘリングは、1986年、ソーホーに《ポップショップ》をオープンします。Tシャツや缶バッジ、小型ラジオなどを自らデザインし、子どもから大人まで楽しめるような商品を展開したこのショップは、パブリックアートの新しい形を示しました。アートがいかに一般大衆のものであり人々の心を豊かにするか、そして希望や勇気を与えるかということを《ポップショップ》というコンセプトで表現したのです。多くの人が名前は知らずとも、どこかで一度はヘリングの絵を見たことがあるというのは決して偶然ではなく、「アートはすべての人のために」と考えたヘリングの成果といえましょう。
ヘリングは、この《ポップショップ》をニューヨークのほかに世界で唯一東京にも展開しました。《ポップショップ東京》は、1988年に青山にオープンしました。空き地に設置されたコンテナの内外にドローイングを施し、手描きの看板を目印にしたショップでした。ショップには暖簾や提灯がディスプレイされ、店内用のスリッパも用意されました。商品もオリジナルの扇子や茶碗が制作されるなど、ヘリングのアートと日本文化とのコラボレーションでした。ショップは1年あまりで閉店してしまいましたが、日本でのヘリング人気の高さだけでなく、アートが大衆文化の中に拡散していった、紛れもない事実を象徴するプロジェクトでした。
そのほかにも、ヘリングは1982年から1989年にかけて世界各地の都市や病院、孤児院などに数多く作品を寄贈しています。1987年には、パリのネッカー小児病院の外壁に巨大な壁画を制作しました。子どもたちとの交流を大切にしていたヘリングは、子どもたちとのワークショップも各地で開催。1987年の都下・多摩市の複合文化施設「パルテノン多摩」開館に際しては、開館を記念して約500名の子どもたちと壁画制作を行います。
一方、学生時代からポスター・アートにも着目しており、スイスの時計会社Swatchなどの広告ポスターだけでなく、核放棄や反アパルトヘイト、エイズ予防やLGBTの認知など社会が抱える問題に対しても、ポスターにメッセージを込めて立ち向かいました。
このように、ヘリングはアートを媒体にした大衆とのコミュニケーション方法を常に模索していたのです。
最後に、本コラム投稿日である本日は2月16日。28年前のこの日、ヘリングはニューヨークのアパートで逝去しました。ここで彼の命日に寄せて、亡くなる2週間前に完成した作品をご紹介いたします。
《オルターピース:キリストの生涯》(1990年)という立体作品です。ホワイトゴールドの箔が押された3面のブロンズからなり、その横幅は2mを超えます。中央最上部に配された十字架の下にはいくつもの腕が伸び、その腕には赤ん坊が抱かれ、天使が周囲を飛び交います。そして何かを訴えるように拳を上げる人々の姿が力強い線で深く刻まれています。まるで病に侵され衰弱する中で、最期の力を振り絞り、平和への願いと希望のメッセージを伝えようとしたかのようです。
作品タイトルになっている「オルターピース」は教会の祭壇を意味しています。現在この作品は世界各地の教会と美術館9箇所に収蔵されていますが、その中の1点は、ヘリングの追悼式が開催されたニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂の祭壇で、今も礼拝に訪れる人々を見守っています。
(本記事は「東京レインボープライド」からの転載記事です)