「あなたにとって、愛とは、セックスとは、何ですか?」
本来、人も愛もセックスも多様であり、個人の恋愛を他人がジャッジするものではない。
「正面×愛とセックス」は、”普通に”生きるLGBT当事者の愛とセックスについて、赤裸々に語ってもらうインタビュー連載です。
─ 30代 ゲイ 派遣社員 ─
ーあなたにとってセックスとは何ですか
幼稚園の頃から自分が男の子が好きだって自覚はあったんだけどね、でもまだボンヤリとしてて。小学校に上がって同級生がエロ本を囲んで明らかに高揚してたから、そんなに凄いものがそこにあるのか?って自分も輪に入って見てみたけど全く何も感じなくて。そんな自分に少し動揺したけど皆と同じフリをしなきゃいけないって咄嗟に思ったんだよね。何となく。
今思えば、かなりのムッツリ助平で(笑)
少しマセてた部分もあったから、性教育の本とか読むと少しだけ満たされるんだよね。あの頃羨ましいなと思ったのが、異性愛者の男の子だったらムッツリだろうと何だろうと、何かしら発散できる手段が気軽に手に入るでしょ、エロ本だってあるし。もう少し年がいけば経験だってするだろうし。
でもさ、自分の相手は現実に存在してないなって思ったんだよね。もしかしたら居るかもしれないけど、簡単には見付かんないだろうなって。そもそも“男と女”ってのは歌謡曲のタイトルでも街中の看板でも見かけるけど、“男と男”って見たことねーなって。
ある日、いつも行く近所の本屋さんにいつも通りに漫画を買いに行ったんだけど、ふっと目に入ったんだよね、“男と男のなんちゃら”ってキャッチフレーズが。当時は『薔薇族』だったり『さぶ』だったり、今や伝説になってるような雑誌だったんだろうけど。
その文字列を見た時は、雷に打たれたみたいでね。もう何も考えられずに手に取って開いた時に、これまで何となく隙間が空いてて、求めても得られないと思ってたモノがここにあった!って、だけれどもすぐ閉じて戻したの。ダメって思ったから。求めてたものを見つけた喜びとか嬉しさよりも、コレは誰にも知られちゃいけないんだって思って。パッと閉じて置いた瞬間怖くて仕方なかったよね、誰に見られてるか解んないって。
俺の実家は商店街の中にあって、その商店街の人達はみんな顔見知りな環境で。そんな中、もしかして今こうやって開いてたトコロを、誰かに見らられたんじゃないかとか。それが周り巡って親にバレるんじゃないかとか、友達に見られて言いふらされるんじゃないかとか、そんなことばっかり考えるようになって。
それからがクロゼットの始まりで、迂闊に何も言えなくなった。
その日から、自分で自分を檻に閉じ込めた感はあるよね、今迄みたいに素知らぬ顔して生活しなきゃいけないって。それまで凄く我儘な子供だったんだけど、それから全く我儘言わないようになったかな。我儘を言うって自分の欲求をストレートに出すってことじゃん、そのついでに何か片鱗が漏れたら困るって。
中学くらいになると、もっとリアルな下ネタになってくるわけじゃない。先ずは自分も一緒に楽しむフリをして自分を守ろうって。興味が無いってバレたらいけないから、その頃から周りをすごく観察するようになって。周りとどうバランスをとって、悪目立ちしないようにするかって常に意識するようになっていって…その頃って今思えば本当に無個性で。
こうやって思い出しながら…うん…ちょっと疲れるね、でも当時は疲れなかったんだよね。それしか生きる道がないって思ってたから。当時、その疲れ具合に気付かなかったのは幸いだったかなって、心病まなくて済んだし。友達もいたしね。
でもそれからもうちょっとすると、周りが見てる俺は本当の俺じゃないんだよってのも、出てきちゃうんだけど。
必然的に聞き役になる事が多いから、だんだん恋愛相談なんかも受けるようになって。でもそういう風に相談を受けながらさ、あぁいいなって、俺も相談したいんだけどねって。でも付き合うとか付き合わないとかって以前の問題で、そもそも相手居んのか?って。だからその頃は、とにかく雑誌がハケ口で。地元の本屋では買えないから、当時通ってた塾の近くの本屋で買ってたかな。小遣いもお年玉も全てそこに消えてたね。
その時代って、とんねるずの保毛尾田保毛男とか日出郎さんとかね、ああいう人たちしかテレビに出てなかったし、当然ネットとかもないから、他を知る手段も無いしさ。でも自分は女みたいに生きたいワケじゃないし、どういう風に生きていったらいいのかなって考えたよね、ロールモデルがないから。
かと言って、具体的な夢も無いし何かになりたいってのも無くて。あとは流されるがままだよね、周りが高校行くから俺も行こうとか、大学もそうしようとかね。それが大きな世の中の流れだから上手く乗ってなきゃって、取り敢えず乗っかってれば楽だよなって。そういう風に何となく周りに流され生きてる自分が相変わらずコンプレックスだった。
それから大学に進学して今のパートナーと出会って、またちょっと事情は変わってくるんだけどね。
出会って10年間くらいは、完全に二人だけの世界だったの。で、そろそろ年頃になってきたら、一緒に遊んでたノンケの友達が結婚し始めて、集まりにどんどん人が減ってきて。アレ?って。今まで磐石な交友関係を築いてきた筈なのに、そういう節目だよなって。このままだと、本当に一生二人だけになっちゃわない?て。それまでゲイの友達なんかも全くいなかったし。ヤベ、このままじゃ詰まらなくなっちゃうかもって。
でも、性的な面に関して俺は満足はしてたんだよね。最初の10年間は全く他に興味がなかった。よくウソだろ!?て言われるんだけど、本当に。でも相手はそうじゃなかったみたいで、行動には移してなかったみたいなんだけど (笑)彼も他の人と知り合うキッカケが無かったからさ。でもどっかで、一生これだけなのかな?ってのはあったかも知れない、今思えば。で、その頃、丁度ミクシィが出て来てね。最初はノンケの友達からの招待で始めたんだけど。コミュニティってあるじゃん、“○○ for ゲイ”とかってさ。実際に存在してるかどうか目で見たわけじゃないけれど、ゲイも普通に居るってのが解って。
それからちょっとして、パートナーに「セフレ作っていいかな?」って言われて。うっすら衝撃はあったけどショックではなくて、なんだか妙に納得しちゃって。そこは変な自負があって、10年以上こうやって過ごしてきて、他人とセックスしただけで気持ちが持って行かれるなんて思わなかったんだよね。それは単純に興味とか好奇心だろうなって、俺が小さい時に感じてた、あの子のチンコや裸が見たいとかの延長じゃないのって思ったから。で「それもアリなんじゃない?」って。そう返事したら…まぁ…ヤツはソッコー行動に移しますから(笑)
彼も別れる気がないから、わざわざ聞いてくれたんだろうなって。自分は他でしたいと思った事は無かったけど良いキッカケだし、チャンスがあれば遊んでみようって思って。その時に二人で決めたのが、「隠し事はやめようね」って。
セックスって、ただの性欲を満たす為の行為だと思ってて。相手と繋がりたいとか、心のコミュニケーションだとか、そういう理屈はあまり考えた事は無いね。それは元々なのか結果として付いてきたものなのか、お互いの気持ちを確かめる為にするなんて考えではなかったし。
当然、好きな人とセックス出来るって嬉しさはあったけど、絆とかってのとは違うんだよ、気持ちは元々あるもんじゃん?青臭い話かもしんないけど、心は繋がってるよねっていうさ。性欲は性欲以上でも以下でもなくて。だからさ、彼の友達に会ってもなんとも思わないんだよ。まぁ誰か紹介される時に俺のセフレですって紹介されるワケじゃないけれど、彼はそういうの隠せるタイプじゃないから(笑)
彼は、俺なんかよりもっと気にしないと思う。
大体アッチから言い出したことだし、その時も「お前も作ればいいのに」って言ってたしね。下世話な話だけど、俺は彼しか知らなかったから経験値を積みたいってのもあったしさ。自分では修行って言ってたんだけどね(笑)最近は落ち着いてるけど、当時は手当たり次第というか。でもそれをする事によって、色んな気持ちとか感覚を掴めるようになったかも知れない。
この世界って、凄いヤリマンというかヤリチンというか…まぁそういう子も居るじゃん。そういうのも少しは理解できるようになったと思う。
世の中、綺麗事ばかりじゃないってのが分かってくると、当然失望することもあるんだけど安心するのもあって。別に清潔じゃなくても良いんだって。それまで、なんとなくそういう観念に縛られて自分を上手く出せない部分もあったんだけど、そういう鎖から放たれて自分らしく振る舞えるようになったのは、いろんな人とのセックスを通してだったなって。
それは多分、パートナー間でだけでは決して得られなかっただろうなって。
昨日知らなかった人が、セックスを通してちょっと知ってる人になって。日常では服を着てるんだけど、人前で裸になることってあんまりないし、それにセックスって本能じゃん。だからこそ見える表情とかそういうのを見たいって思うから、そのちょっとした素顔を見てみたいが為に差し出す、お気に入りのお菓子みたいな。
ほんのちょこっとでも開いてた方が楽しいじゃん。特に自分は長い間、誰にも心を開けずにいたから。今でも初めて会った瞬間から全開は無理だけど、お互い何かしら興味を持ったらセックスして、ちょっとでも開けると良いなって。友達になるかって言われたらそうじゃないんだけど、一段階いや違うな…半段階知ってるなって安心感とは違うけど、服を一枚脱いだ分だけの気安さというかラクさは有るよね。
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