世界的に急速に広がる同性婚合法化の潮流。
今回は、そんな世界の同性婚事情について、世界的なLGBT人権活動家、ボリス・ディトリッヒ氏の来日を機にインタビューを行った。
ボリス・ディトリッヒ/Boris Dittrich
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチLGBTアドボカシーディレクター。 世界初の同性婚国オランダを導いた立役者であり、現在はLGBTの権利を守るアドボカシー活動を、アフリカ、アジア、ヨーロッパなど世界各国を歴訪している。2013年、過去30年間におけるLGBTの権利保護活動が評価され、オランダ政府より名誉あるJos Brink State賞を授与された。
まず、ボリス氏のパーソナルな部分からお聞きします。ご自身がゲイに目覚めたきっかけは何だったのでしょうか?
私は24歳の時に初めて男性を好きになりました。しかし、その前までは彼女がいたんです。
ゲイに目覚めたきっかけは、昔サンフランシスコのカフェで仕事の打ち合わせ最中に、話していた相手の男性からいきなり「あなたはゲイですね」と唐突に言われたんです。しかもその時は彼女も同席していたので、とても驚きショックを受けました。
潜在意識はあったものの、頭の中で「自分はゲイじゃない!」と何度も否定を繰り返しました。
しかし、その後たまたまTVのドキュメンタリー番組を見ている時、サンフランシスコで会ったのはLGBT活動家で有名なハーヴェイ・ミルクだったのだと気が付きました。そのドキュメンタリーの内容は、ミルクがLGBTの権利活動中に殺害された際のものでした。私は、それを見た時に不思議な運命を感じ、「LGBT活動家になりたい」と自分の中で思いが湧き上がってきたんです。
ミルクに出会ったことで、内に眠るゲイという自己を肯定することが出来ました。
それからというもの、セクシャリティを隠すことなく周りにオープンにし、弁護士、裁判官、政治家を経て、現在はLGBTアクティビストとして活動をしています。
ちなみに24歳の初恋の彼は、現在の私のパートナーです。
素敵な運命を感じますね。自身のセクシャリティをオープンすることによって、周りからどうのような反応がありましたか?
私は1993年からゲイであることをオープンに活動をしていたのですが、議会で自身のセクシュアリティを公表してはいけないと言われた際に、「議会では人々を代表して発言をしなければならないのに、自分を代表せずして発言できなければこの仕事は勤まらない!」と言い返しました。
社会に対して、ゲイでも議員になれるんだということを示したかったのです。
もちろん最初は否定的な意見が多かったのですが、徐々に理解者も増えていきました。
世界初の同性婚法案可決に向け、具体的にどのような活動を行ったのでしょうか?
94年に、議会に同性婚法案を提出したのですが、当然議会内では「そんなの無理だ」と突き離されました。そこで私は、弁護士の団体を作り同性婚が法的に可能であると証明した報告書を提出したのです。そのかいあって法的な問題は解決しましたが、新たな課題として、同性婚を受け入れる側の国民の心の準備が必要でした。
そこで私は、LGBTのカップルや家族にTVやラジオに出演してもらい、世間に同性婚のサポートを求めるよう訴えました。
キリスト教などの宗教的な反対も多かったのですが、宗教界の中でもLGBTをサポートしているアライの人々を集め、TVや新聞でも頻繁に登場してもらいました。一般人だけでなく、有名な歌手、芸能人にもサポートしてもらい、メディアでLGBTを積極的に取り上げることにより、国民全員にLGBTに対して考えるきっかけを常に作り続けました。
また、この活動期間中に党首になったことで政治的権力もあいまって、同性婚を合法化することに成功しました。
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