「あなたにとって、愛とは、セックスとは、何ですか?」
本来、人も愛もセックスも多様であり、個人の恋愛を他人がジャッジするものではない。
「正面×愛とセックス」は、”普通に”生きるLGBT当事者の愛とセックスについて、赤裸々に語ってもらうインタビュー連載です。
── 20代 ゲイ 学生 ──
ーあなたにとってセックスとは何ですか
セックスねぇ…初の性的なスキンシップは小3ですね、同じクラスで同じ朝鮮族の男の子でした。
お互い同じマイノリティ(少数民族)だったんですぐ仲良くなって、よく遊んでました。自覚はもう幼稚園の頃にはありましたね、今思えば。中国の田舎だったしトイレとかも凄く古くて汚くて、外で用をたすんですけど。で、なんか、ほら子供の頃の女の子って、男の子の真似して立ちションとかする子とかもいたり、そういうのを見ていても目が行くのは同性みたいな。
で、いまだに覚えてるのが、幼稚園のときにトイレで知らない男の子が立ってて、お互い終わっただろうなーっていう時になぜか知らないけど、しゃがんでペロっとしちゃったんですよ。いたって自然に…なんなんだろうね。多分魚が餌に食いつくみたいな。あ、そこに餌があったみたいな (笑)
それから小5の3学期に、親の都合で日本で住む事になるんですけど。最初に覚える外国語ってだいたい汚い言葉から覚えるじゃないですか、小学生だし余計に。バカ、アホ、ウンコとか、オナニーとか。
年頃ってのもあったんでしょうけど、そういう会話になって。僕は一人っ子なんですけど、日本人は兄弟が多い子が珍しくないので、兄弟が持ってるエロ雑誌とかビデオとかを持ってくる子が居るんですよね。多分それを一緒に観て、口でやるんだ~って思って。あと幼稚園の時の事をずっと覚えていて。生理現象も解ってきてたし興味もあって、試したくなっちゃった。
その中に仲良くしてくれる男の子がいたんで、自分から試してみていい?って聞いたら、アッチもイイよって。それが初めて射精までっていう経験でしたね。
それから中学に上がって、少し荒れたんですよ。
世界中の人間が全ての敵に見えてた(笑)相変わらず言葉は上手く通じないし、先輩達とかヤンキーには絡まれるし、俺なんか悪い事した?みたいな。女の子と仲良くなるのも得意だったんで、同級生の男の子達にも敵対心持たれたり、あいつはオカマだって噂されたり。
学校は居心地悪いし、家の中の雰囲気も悪いから帰りたくなくて。当時、お父さんは17時出勤だったんだけど、中学校って終わるの15時とかじゃないですか。部活はしてなかったんでウロウロ時間潰して、17時過ぎに家に着くようにしてたんです。
もうとにかく全てがイヤで。で、友達欲しいなってネットサーフィンしてたら、掲示板を見付けて。ゲイって言葉もそこで初めて知ったんです。それからはそこで知り合った人達と遊ぶようになって。でも今思えば、当時は自分を捨てるみたいにしてましたね。
学校と家じゃない他の空間が欲しかったんだと思う、何でも良かったんでしょうね。相手は自分と同じゲイで、しかもチヤホヤしてくれて、至れり尽くせりしてくれるし最高じゃないかって。カタチだけであれ自分を認めてくれてる訳だし。
そんな荒れた生活が3、4年続きました。ただ、その頃のセックスで気持ち良いと思ってしてたことは無いです。
数年後、そういう生活から抜けるキッカケになったのもインターネットでしたね。ネットで知り合った人にゲイバーに連れて行ってもらって遊びに行くようになって。そこでちょっと年上の人と知り合ったんですけど、その人が色々と面倒みてくれたり、その人を通して交友関係も広がったり。
丁度その頃にダンスと出会って、打ち込めるものも見付けて。自分の居場所が出来てきたんですよね、だからもう、自分の居場所を確保する為のセックスはしてくてもいいよなって。
大学生になって店子のバイトを始めるんですけど。そこで過去は無かったことにしようって、急に思っちゃって。自分のそれまでの人生を無理矢理リセットしちゃったんです。飲みにきてるお客さんに色々聞かれたりしても「セックスなんてしたことないです」って、へっちゃらで返事してました。もちろん過去の記憶もあるんだけど、あれは夢だったんだよねって。
自己暗示を掛けてましたね、僕はピュアなんだって。嘘付いてるって解ってるんだけど、そうやって嘘付いてくウチに、あたかも本当かのように自分でも勘違いしちゃったんですよ。だから、その頃はピュア期だったんですよ(笑)恋人でもない人とキスなんて出来ないって本気で思ってました。子供の頃の事は単純に本能というか好奇心として、暗黒時代ののセックスはセックスとしてカウントされてないって考えると、かなりウブだったんじゃないかなって。
ただその当時、セックスは楽しむものなんだっていう価値観を最初に与えてくれた人と出会ったんです。ただ、自分に色んな足枷があって、実践はしてなかった。そしてその足枷を外す大きなキッカケになったのが、その後のフィリピン留学ですね。最初は凄い警戒していて、会って食事したりお酒飲んだりってだけだったんですけど。
フィリピンの人達って、とにかく心がオープンで。そのうち自分も感化されてきて、純粋に楽しむようになってました。あ、なんかもっと自分の欲望に素直になっても良いし、表現しても良いんだなって。本当に楽しかったです。
セックスって、自分の輪郭を確認するものなのかなぁ…て最近は思うんです。
自分という存在を認識させてくれる、みたいな。もしくは、アイデンティティを周りに認識して貰う為の、1つのツール。セックスだけじゃなく、ステージの本番前にダンス打ち込んでる最中だったり、今なんてまさしく博士論文を書いてる真っ只中で、集中してる時って性欲って湧いて来ないんですよ。こうムラムラしてる時って、ダンスも研究も落ち着いてちょっと退屈してる時、余裕がある時ですね。
それは、今ココで喋ってて気付いたんですけどね。あ、セックスもそれに繋がるんだなって。今まではずっと論文もダンスも同じだと思っていて、ダンスはステージの上で身体をもって表現をする、論文は文字をもって自分の思想を表現する、という意味では全部自分のアイデンティティを発散する・発信する行為。だから僕は論文を作品って言ってるんですけど。ダンスもネタじゃなくて作品、って考えたらセックスも作品ですよね。
子供の頃から自分なりにいろんな経験をして、違う国の文化とか色んな人達にも触れて、今は過去の全てを受容出来てると感じてます。全部自分じゃん、否定したところで仕方ないって思うようになりましたね。
19歳の時にリセットボタンを押したことすら意味があるんですよ、それすらも今は自分の一部。過去を否定していた頃の自分がいて、そこで一旦否定した事によって、自分に否定された自分ですら全部受け入れられてる自分が居るっていう。その作業が全て必要だったと感じてます。
セックスはもはや、欲望とはまた違う表現、アイデンンティティの獲得なんじゃないかって。でも過去の自分が求めてたアイデンティティの獲得とはまた違う。
昔は自分という主体を求め続ける為の行為だったけれども、今は自分という主体があって、更にその輪郭を鮮明にする為の行為になってます。相手からの跳ね返りがあるからこそ初めて自分の輪郭が解る。そもそも、相手がいなければ、自分の輪郭を知り得る事すら出来ない。
鏡みたいなものなのかも知れないですね、セックスって。
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