ーあなたにとって愛とは何ですか
多分、いろんな愛があるじゃないですか。共通して言えるのって、愛って動いてるものなんだっていう。流動的っていうか。
家庭の話になるんですけど。母親が日本の大学に留学することになって、最初は母親だけ日本に来てたんですよ。父親は公務員でそれなりの役職だったんで割と裕福で、好き放題してたましたね。その後、家族全員で日本に住むことになるんですけど、そこで立場が逆転するんですよ、父親と母親の。母親が世帯主で、父親は家族ビザなんで扶養される側になるんですよね。
男のプライドもあったんでしょうね、家庭内が更にグチャグチャになって。最近やっと父親も落ち着いて、僕も平気で話せるようになりましたけど。それも皆が認めるような大学に入ってやっとね、父親が自分の事を責めなくなりました。それまでは八つ当たりなのか何なのか、常に責められてた気がします。
彼らは愛してると思うんですよ、彼らなりに。
でも、そっちがいくら愛してくれても自分がそれを愛として感じなかったら、それなに?って。だから愛ってどうやったら成立してると言えるのって、昔から疑問でした。何をもって愛。それはギブアンドテイクなのか、お互いシンクロするのか、それとも、与えるものなのか受け取るものなのか。フェアじゃないよね、とかも思ったりもするし。仮に相思相愛の人達がいるとして、その基準点ってお互い一緒なのかなって。
ただ必要とされるって事は、愛と思わないですね。それはそれ、認められるだけ。アイデンティティの確立の為に、愛って言葉を商品としてる感じなんですよ。だから世間で言われる愛という言葉を上手く使ってるってことですよね、良いレトリックとして。
そもそもあると思ってないんでしょうね。
それこそ、愛という言葉を使ったそれらしき行為はあったんですけど、やっぱさっき言ったみたいに。じゃあ、本当って言葉は無いと思うんだけど、本当の意味での愛がもしあるんだとしたら…う~ん…むしろ愛とは何?じゃなくて、愛されてないってどういうこと?って質問された方がスラスラ出てくる。
例えば、うちの両親の例をあげると。父親は今、中国帰ってるんですけど。明日帰って来るって連絡が入ると、母親が焦ってコレもアレもしとかないとってなる。それって愛なの?って。愛の無い空間だから、貴女は緊張するんでしょ?って。帰ってくるって聞いた瞬間に、散らかったものを片付けはじめて、イライラバタバタし始める。そこに、愛はないと思う。(聞き手:じゃあその逆が愛なんじゃない? )
その発想はなかったです。その逆は愛なのって聞かれたら、正直言葉に詰まります。でも帰ってきたときに超汚くって、おまえこれヤバいぞ片付けろよって笑い合える。もしかしたらそれは愛かもしれないなって思いますけど…う~ん…わかんない。本当にわかんない。もう、フォビア。フォビアじゃないかもしれないけど、アレルギー(笑)
もしコレが愛だったら良いなってふと浮かんだのは、怒りたいときに怒るって言っちゃ変なんですけど、ビクビクしなくて、難しいことも考えない、シンプル。頭のなか空っぽでもいいくらい、いや、むしろ頭の中は空っぽで。それでも尚且つ一緒にいられる、その状況とか空間になろうとするんじゃ駄目で。自然と気が付いたら、そうなっちゃったっていうのが愛なんじゃないかって。
でもやっぱり解んない。
本当に愛についてそこまで考えた事無いんですよ。欲しいなって思ったことも、求めたことも、誰かに与えたいって思った事も無い。愛の定義が解らないから、欲しいとか欲しくないとかそういうのじゃないですね。それだけはハッキリしてる。僕の中での定義がハッキリしたら、その時に初めて欲しいなとか、あったらいいなとか思えるんでしょうけど…
僕もみんなにインタビューしてみようかな(笑)