亡き父に寄せて 文:Noe
まずは、この『正面×愛とセックス』の連載の最後に父の記事を掲載してくださること感謝いたします。
父はこのインタビューを受けた数ヶ月後に事故で亡くなりました。
その後、執筆者である成理さんから父がインタビューを受けた旨を聞き、また、この連載の象徴である『正面の写真』を見せていただきました。大体において父は写真を撮られる際に、格好つけるかふざけていることが多いので、自然な父の表情をしたこの写真に心が引かれました。撮影者の宮本七生さんの許可を得て、遺影として使用させていただきました。
父は商売人らしく、とにかく人情を大事にしている人でした。人が好きで、どんなお客さんでも一人一人の個性を尊重していました。娘の私を呼び捨てで呼んだことは殆どなく、いつも「さん付け」で呼んでいました。娘だったとしても、1人の人間として接したい、という想いがあったのだと父のお客さんから聞きました。
父の奔放な愛のある生き方は妻の立場だったら嫌でしょうが、愛情に溢れた生き方と思えば私は悪くないと思っています。
三十路の娘に対して、「僕ね、娘が大好きなんですよ」という事を他人にさらっと言えてしまう父をとても尊敬しています。相手に愛情を伝えることは、親子以外であってもとても大切なことです。
『正面×愛とセックス』を通し、愛情の形やそれを表現することは様々な形があるのだと感じました。LGBTという言葉がメディアを通してよく聞かれるようになり、ある程度カテゴライズされたことで、多種多様な愛の形が存在しているのだと一般的にも認識されるようになったと思います。認識と理解は異なるものだと思いますが、単純に自分が心引かれ愛情を注ぎたい思うことが一番大事な部分です。それが同性か異性か、または自分自身に向けてなのかの違いであり、どれかが特別ということはないのかなと思います。
記事の中で父は、愛情を受ける側はそんなに感じていない、と言っていたようですが、私はしっかり父の愛情を感じ取っていたし愛されていることを自覚していました。しかし、父にそれを伝えることがもう出来ないという事実が何よりも一番寂しいことです。愛を向ける対象が存在しているならば、それだけで幸せなことなのだと私も父同様に感じます。
最終回に寄せて 文:朴成理
カメラマン宮本七生が撮り続けている【正面】に、聞き手である私が乗っかる形でスタートしたブログでした。個人ブログで3年、GENXYでの連載が2年。気が付けばこんなことを5年も続けてたんですね。時が経つのは早い。
当時、私は大きな失恋をした直後でした。
好きになった人は同性愛者で、当然叶うはずもありません。自分の業を呪いました。世の中の男たちは全員去勢だ!と八つ当たり的な怒りにも燃えていました。
ほら女性ってスピリチュアルとか好きでしょ?当然私の周りにもそういった人たちが少なからず居るんです。あぁいった世界って「心が大事」「愛していれば全て許せる」「受け入れることが愛」とかなんとか。でもそんなの信じられなかったんです、今でも信じられないけど。
だって私は両方欲しいから。欲張りなんですね、心だけなんて満足できなんです。
全部欲しいんです。
でね、ふと疑問が生まれたんです。
愛もセックスも無くても生きていかれるじゃないですか、だけど年甲斐も無くこんなに必死になって求める。こんなに人間をみっともなくするものって何なの?て。本当はみんなどう思ってんの?って。
今でも私の中での答えは出ていません。
でも一つだけハッキリと解ったのは、愛やセックスにというものに一度も関わらずに、疑問も持たずに、悩まずに生きてきた人なんて皆無だってこと。そこにはセクシャリティも国籍も性別も何も関係ないんだってこと。そういった意図も含め、最終回はヘテロセクシャルの男性を選ばせていただきました。
LGBT向けメディアに関わらず、このような記事を最後に掲載してくださったGENXY編集者様に心よりお礼を申し上げます。
また、2年間の連載を通じて交流してくださった皆様、 記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。このインタビューを通して何かを感じてくだされば幸いです。
そしていつかは、同性が好きとか異性が好きとかわざわざ自己紹介しなくてもいい世の中になると良いですね、あれ本当に面倒ですし(笑)