文化の復興を目指したルネサンスの時代に、多くの人たちが暗黒時代から抜け出して自身のセクシャリティを探求したことは驚くべきことではない。
むしろシェイクスピアの作品からイタリアの素晴らしい彫刻まで、人々の”禁じられた”欲望が、ルネサンスを支えたと言っても過言ではないだろう。
ラブレターや当時の文献には、お堅い歴史家たちに見て見ぬフリをされてきたゲイロマンスが数多く記されている。今回は、そんなルネサンス期の知られざる15のゲイロマンスを米Advocate誌より紹介したい。
エドワード2世とピアーズ・ギャヴィストン
中世のイングランド王エドワード2世のゲイロマンスに関するゴシップは、何世紀にもわたって世間を賑わせてきた。
最も有名な相手は、ずばり初代コーンウォール伯ピアーズ・ギャヴィンストンである。エドワード2世とギャヴィンストンは、エドワード2世の父親であるエドワード1世を通じて知りあった。
エドワード1世が、ギャヴィンストンに息子に仕えるように命じたのである。しかし、エドワード2世とギャヴィンストンの関係が”あまりに近くなりすぎた”ため、ギャヴィンストンは、ほどなくして追放されてしまう。
エドワード1世の崩御を機に”アドバイザー”として再びエドワード2世の支えたギャヴィンストンであったが、二人の関係を良く思わない諸侯によって斬首された。メル・ギブソン主演・監督の「ブレイブハート(1995)」では、二人のゲイロマンスが描かれているが、ホモフォビックな仕上がりになっているそうだ。
マルシリオ・フィチーノとジョヴァンニ・カヴァルカンティ
イタリアのルネサンス期を代表する学者であり「プラトニック・ラブ」を提唱したマルシリオ・フィチーノは、フィレンツェのイケメン詩人ジョヴァンニ・カヴァンティにはプラトニックな感情を貫けなかったようだ。
歴史学者によるとフィチーノはカヴァルカンティに数多くのラブレターを送ったという。
フィチーノがヴァルカンティに宛てて書いたラブレターの中には「僕が天国に行けるかはわからないけど、ギリシャの哲学・美学・真実の研究から学んだ掛け替えのないことがある。それは、最も親愛なる男性と生きる喜びだ」などという率直な愛の表現も見られる。
二人は、コッレッジョと呼ばれるイタリアの小さな村で末長く暮らしたという。
レオナルド・ダ・ヴィンチとフィオラヴァンテ・ディ・ドメニコ
ルネサンス期の巨匠といえばレオナルド・ダ・ヴィンチだ。
芸術から科学などあらゆる学問に精通していた「万能人」は、同性愛がタブーの時代に生き、結婚歴はあるものの、人生の大半を独身として過ごした。
ある学者によると、レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェに住んでいた際にアカデミアで学ぶ青年フィオラヴァンテ・ティ・ドメニコと恋に落ちたという。フィレンツェのアカデミア周辺は、比較的同性愛に寛容的だったそうだ。
フェデリコ2世・ゴンザーガとピエトロ・アレティーノ
同性愛行為を禁止する「ソドミー法」が施行されていた最中、バイセクシャルの詩人ピエトロ・アレティーノは「生まれながらのソドム人(男色者)」と公言していたという。
またアレティーノとイタリアの貴族フェデリコ2世・ゴンザーガがやりとりした手紙には、二人の複雑な関係がうかがえる。
ゴンザーガは枢機卿を兄弟に持っていたため、アレティーノほど自身のセクシャリティをオープンにすることはできなかった。それでも、アレティーノに男を斡旋したり「あなたの知性は僕を虜にした。他の誰よりも愛している」とアレティーノに想いをしたためたりしている。
ミケランジェロとトンマーゾ・デイ・カヴァリエーリ
ルネサンス期の偉大な彫刻家ミケランジェロはヴァチカンからの庇護を受けていたため、皮肉だが自身の同性愛性を隠す必要がなかったという。
ローマ貴族カヴァリエーリは、ミケランジェロの恋人だったと言われており、ミケランジェロの同性愛をテーマにした詩に登場したり、彫刻作品「Victory(勝利)」のモデルにもなったりしている。
ミケランジェロは、後期の作品において自身を登場させるなど”隠れたメッセージ”を吹き込むことを好んだという。「Victory(勝利)」を見るとわかるように、カヴァリエーリの足元にはミケランジェロがかがんでいる。
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