素晴らしい映画!だけど真実は知っておいてね
伝説のロックバンド「クイーン」の元ボーカリスト、フレディ・マーキュリーを描いた伝記ミュージカル映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
世界ほぼ同時期に公開され、全世界で大ヒットを記録している映画だ。
稀代のアーティストかつオープンリーゲイのフレディ・マーキュリーを知るためには申し分ない映画であり、またクイーンのヒット曲が歌詞とともに登場するなどミュージカル映画としてのエンタメ性も抜群。
映画を観てクイーンの魅力に取り憑かれた人も多いはずだが、ぜひ知ってほしい『フレディの知られざる5つの真実』をゲイ的視点から紹介したい。
※注意!ここから先はネタバレを含みます※
映画で、フレディは自身のことを「バイセクシュアル」と話している。(ウィキペディアにも同様にバイセクシュアルと記述)
事実、1970年はじめはメアリーと交際しており、乱交パーティーを開催し男女問わずやりまくる”遊び人”だった。
しかし、彼のパートナーなど多数のエピソードから、ゲイだったことを間違いないだろう。
フレディは1970年半ば頃にゲイだと気付き、多くの男性と性的関係や交際をしている。また、ゲイバーやハッテン場にも頻繁に通っており、あのダイアナ妃をゲイバーに連れ出したという逸話もあるほど!
また、来日の度に新宿二丁目のゲイバー「九州男」にも通っていたという。
映画では、終始メアリーとの関係を恋人のように描いていることから、バイセクシュアルをやや強調しているようにも感じる。実際はイケメン(+巨根)をこよなく愛するゲイ男性だった。
メアリーとは男との浮気が原因で恋人関係を解消し、その後は心を通じ合わせた仲として亡くなるまで親友だった。
映画のクライマックス、1985年に行われたライブ・エイドのシーン。
フレディは、ライブ・エイド前にHIVと知り、病状が悪化し声が出なくなる─と描かれているが実際は異なる。
彼がHIV感染を知ったのはライブエイド後の87年であることから、ライブ前にメンバーにHIV感染を伝えて一致団結するシーンなどは実際なかったのだ。
これはエンディングを盛り上げるための脚色である。
フレディは87年にHIVに感染していると発覚。
その4年後の1991年11月24日、エイズによる気管支肺炎でこの世を去った。
彼の死後、フレディの意向により「ボヘミアン・ラプソディ」の印税はエイズ基金に寄付されている。
映画では、ポールはフレディのマネージャーで、彼を魔の手にそめた悪役のように描かれている。が、事実は少し異なる。
ポールは1975年にフレディとバーで出会い、セフレのような関係を経て、77年にマネージャーとなる。
映画ではライブ・エイド前にポールを解雇したとされているが、実際はライブ・エイド後の1987年だった。
さらに、TVでフレディをゲイだとアウティングしたという事実も少し異なる。本当は、解雇された悔しさからタブロイド紙に対して、フレディがジムと交際していると暴露したのだ。
ポールは、クイーン黄金期の10年間をフレディの公私ともに支えた影の立役者にも関わらず、映画ではフレディにつきまとう”ハエ”と吐き捨てられ、悪者に仕立て上げられているのが気になる点。
ポールは、フレディと同じ1991年にエイズで亡くなっている。
フレディの最後の恋人と知られるジム・ハットン。
映画では、ジムはフレディの使用人で、フレディ主催のホームパーティーで出会ったとされている。そして数年後に電話帳で名前と家を探し出し、デートにこぎつける──という設定だが事実は異なる。
ジムはサヴァイ・ホテルに勤務する美容師であり、最初に二人が出会ったのは1984年のロンドンのゲイクラブだった。
遊び人だったフレディはゲイクラブにいたイケメン(ジム)をナンパ。しかしジムはフレディが誰なのかを知らず、また彼氏がいたため誘いを断ったそうだ。
しかしその約1年後、別のゲイバーで再会をはたし二人は関係を深めていく。
ジムはフレディの家の庭師として住み込む形で交際がスタートした。
次のページ|ジムもHIV陽性だった!