匿名の男性が、SNS上で自身の過ちをシェアした。彼はモルモン教徒で、若い頃にゲイの友人を結果的に死に追いやってしまったという。
自分で自分の首を絞めるとはまさにこのことで、現在彼は皮肉にもゲイの息子を育てており、一連の経験から学んだこと、なぜ亡くなってしまった友人に償い続けるのかを以下のように語っている。
「顔を公開する勇気はないけど、毎日過去を清算するために生きていることについて話したいと思う。もちろん、清算するには遅すぎることは分かっているけれど。
俺はバージニア州で布教活動をしていたんだ。のちにゲイだと判明した友人の男性教徒と一緒に。布教をしていた80年代当時、ゲイであることは、男を襲う人たちと同じ意味だったんだ。ゲイはみんな、誰彼構わず男とセックスしたくて、俺の価値観は全く尊重してくれないと思っていた。当時俺たちはゲイの人たちを恐れるように教えられてきたし、俺も例に漏れず怖かった。
だから俺は友人のことを教会に報告して故郷に送り返したんだ。そして俺は彼と絶交して、彼との友情を台無しにした。しかも俺が彼にしたことは彼を故郷に送り返しただけじゃなくて、教会に嘘もついた。「彼が俺を襲おうと狙っていて、俺が彼を遠ざけるためにどれだけ努力しているか」という嘘の物語もでっち上げたんだ。全部嘘だった。
数年後、故郷に帰って結婚して家族ができた俺は、彼が自殺したことを知った。もし今彼が生きていたら「俺がどれだけ取り返しのつかないことを彼にしてしまったか、どれだけ申し訳ない気持ちか」を伝えたい。最近まで彼がなぜ自殺したか理解できなかったけど、自分の息子にゲイだとカミングアウトされて、すべてがわかった。俺は自分の息子を勘当したり、家から追い出したりは決してしない。俺の大切な息子だし、愛しているから。でも息子と死に追いやってしまった友人が頻繁に重なって見えるんだ。今更遅すぎるけど、俺は毎日彼のことを思って祈りを捧げている。今、俺は誰かが自分らしく生きることによって不当な扱いを受けないよう注意しながら生きている。
昔の恐怖や偏見は消え去った。そして万人に対しての優しさや忍耐という価値観を持ち続けなければならないということを学んだんだ。常に持ち続けるのは難しいことだけど。俺は一生この経験と学びと一緒に生きていくつもりだよ。」
誰かを不当に扱うことは、その人を苦しめるだけでなく、不当に扱った人をも苦しめることになるのかもしれない。
以下、告白したFacebookの投稿。現在までにイイネ数3000近く、1000を超えるシェアをされている。