みなさん、連載5回目は「キース・ヘリング物語」の最終章となります。この章では、キース・ヘリングが社会とどう戦っていたのかをお話しします。
キース・ヘリングといえば、ファッションのイメージを連想する人も多いのではないでしょうか。ヘリングは生前、ヴィヴィアン・ウェストウッドやパトリシア・フィールド、フィオルッチなど、個性的なデザイナーやブランドと精力的にコラボレーションを果たし、没後28年経った今でもなお、様々なファッションブランドとのコラボレーションが世界中で繰り広げられています。しかし華やかなイメージとは裏腹に、移民や有色人種、セクシュアルマイノリティーといった社会における少数派である私たちにとってキース・ヘリングは、「勇気」「レジスタンス」「プライド」を掲げ、社会的圧力に立ち向かうアクティビストでもあるのです。
ヘリングが一躍有名となり、世界中を描き巡った80年代は混沌とした時代でした。
60年代の人種差別を正当化したジム・クロウ法の廃止から20年、米国の荒れる経済下で、移民や有色人種に対する暴力や政治的圧力は激化する一方でした。社会が不安定な中、世界中で戦争が勃発し難民問題が膨れ上がりました。また当時、罪人、変態、奇人などと呼ばれ、タブー視されていた同性愛者たちは、エイズ感染の蔓延により迫害され、次々と命を落としていました。当時ストリートアーティストとしてニューヨーカーに支持されていたヘリングもエイズ運動に尽力したのです。レーガン大統領を批判嘲笑した作品は痛烈でした。HIV感染者だったヘリングは「STOP AIDS」のメッセージを数多くの作品を通して発信しました。
日本はグローバル社会の一員として80年代に欧米諸国と肩を並べていました。40年が経とうとする現在も、社会は混沌の影に包まれています。社会がますます多様化し、複雑になり、さらに多くの問題を抱える中、例えば、日本の高齢化が進み、労働者は激減し、政府は移民を受け入れず、在日の韓国・中国人には、未だ参政権がありません。また、G7諸国の中で、唯一同性婚を否認し、雇用や職場でのハラスメントに対するLGBTQへの法的保護は存在しません。メディアでは今も変態や奇人として書かれる事も少なくありません。*
また先進国の中で唯一、HIV・エイズの感染率が増え続けているという現状もあります。**
ヘリングが1989年に発表した《Silence = Death(沈黙は死)》は、1987年に結成されたエイズ患者支援団「ACT UP(AIDS Coalition To Unleash Power)」のスローガンが作品の題名となり、第二次世界大戦中のナチスが同性愛者を収容する際に使用した、ピンクの三角形をモチーフにしています。キャンバス全体には目や耳や口を塞いだ銀色の人物が、ふわふわとお化けのように画面に浮き上がり、まるで次々と命を落としていったエイズ感染者たちのようです。抑圧や政府の無関心さの批判が作品の根底にあります。
日本ではHIV感染率上昇をよそに、HIV・エイズ予防教育は義務化されておらず、大手メディアや政府機関は沈黙のまま、国民の情報源は限られているのが実情です。***
1980年にオリジナルが制作され、90年に17点のシルクスクリーンによる版画作品シリーズとして制作された《ザ・ブループリント・ドローイングス》は、混沌とした80年代を描写した作品ですが、まるで現代を予測していたかのようなシーンがあります。人々が犬に追われ、UFOの光線に打たれ、マシーンにコントロールされています。また、スペシャルパワーを持つ何者かに犯されると、人間がその暴君に変貌してしまうといったストーリーが展開しています。UFOの光線やマシーンは、あたかも政府や企業が、メディアやテクノロジーを駆使し、人々の思想をコントロールしているかのように見えるのです。
絵の中の犬に追われる人々の様に女性やマイノリティーに対する権力の乱用や暴行は、ソーシャルメディアの登場により、明らかになりはじめました。
そして作品に描かれている特権や名声というスペシャルパワーを求める者は、その代償として、力に支配され、自らを犠牲にしてしまいます。
セクシュアル・マイノリティーとして、大きな力に立ち向かい、名声を手にしたキース・ヘリング。彼は社会とどう向き合ったのでしょうか?
ヘリングの社会風刺には希望のメッセージが含まれています。過酷な現実をショッキングに描き、人々の目を覚まし社会を救おうとしました。「沈黙は死」であると考えたヘリングは、事実を隠さず生のメッセージを送ったのです。
1990年2月16日、ヘリングはエイズによる合併症のため、31歳でこの世を去りました。世界中に「希望」のメッセージを発信し続けたヘリングは、息をひきとる前、衰退しながらも希望のシンボルである「ベイビー」を描きました。
「『ベイビー』が僕のロゴやサインになった理由は、生まれたばかりの時が人間として一番純粋でポジティブな状態だから。子供たちは一番シンプルで幸せな形の人生を送っている。子供たちには肌の色も見えず、複雑さや貪欲、憎しみもまだ兼ね揃えていない。」****
ヘリングは生きていれば、今年還暦を迎えます。現代社会に今なお、彼のメッセージは色褪せることはありません。そして2020年には死後30周年となります。日本は2020年の東京オリンピックに向けて明るいムードも広がっています。LGBTQの人権が世界各国で認められていく中、日本のクイアコミュニティーも声を上げ、変化を産み出そうとしています。ヘリングの強い意志に参戦し、希望の兆しを願って。
(本記事は「東京レインボープライド」からの転載記事です)