ドイツのベルリンに住んでいました、がぅちゃんです。
「クリストファー・ストリート・デイ」として知られるベルリンのゲイプライド。現地の観光名所や欧州一と名高いゲイエリアについて触れつつ、実際のパレードの様子を紹介します。
ベルリンはドイツの首都です。人口は約370万人。ドイツに16ある州のうちの一つ「ブランデンブルク州/Brandenburg」の中央に位置しますが、ベルリンは独立した「ベルリン州」なので、ブランデンブルク州には含まれません。
ドイツ語の「ベルリン/Berlin」の発音は「熊/Bären」の発音と似ているため、「ベルリンの語源が「熊」と言われることがあります。本当の語源は不明ですが、日本語の「熊本県」くらい、「熊」という単語をはっきり発音する地名であることは確かです。
ベルリンでは、熊がシンボルやマスコットとしてよく採用されています。ベルリンの市旗と市章のデザインには熊が含まれていますし、クマのキャラクター「ユナイテッドバディーベア/United Buddy Bears」は街のいたるところに設置されています。
そもそもドイツは、1949〜1990年の間、「西ドイツ」と「東ドイツ」に分断されていました。分断前から首都だったベルリンは、東ドイツの真ん中に位置していました。そんなベルリンから西ドイツの取り分(=西ベルリン)を切り抜いた壁が、ベルリンの壁です。
西ベルリンの東側は「東ベルリン」と呼ばれ、 東ドイツの首都でした(西ドイツの首都はボン/Bonn)。当時の西ベルリンと東ベルリンの国境検問所は「チェックポイント・チャーリー/Checkpoint Charlie」と呼ばれ、今では観光名所になっています。
当時のベルリンをむりやり日本で例えるとこうです。米・英・仏が西日本を管理し、ソ連が東日本を管理。東京23区だけ、文京区を中心に縦線で東西に分断。西側(=西東京)を米・英・仏が管理。ソ連はそれを壁で囲って隔離。それほど大変な状態だったといえます。
街中に存在する「ベルリンの壁」
今でもベルリンには、様々な形でベルリンの壁が残っています。ベルリンの壁にグラフィティが描かれたミューラルアート群「イーストサイド・ギャラリー/East Side Gallery」は、特に有名。絶好に映(ば)える、ベルリンを代表する観光スポットです。
当時のままのベルリンの壁が残っている場所も多く、「ベルリンの壁記念館」周辺は有名です。その他にも、元々ベルリンの壁があった場所の地面には印が付けられており、「Berliner Mauer/ベルリンの壁」と記されています。
現在のベルリンはしばしば、欧州のゲイシーンを牽引する「ゲイの聖地」として評価されます。とくにアングラなゲイ娯楽が充実している事で知られています。ベルリン市交通局は、CMにBDSM界隈のゲイ男性を起用したりすることでも有名。
元・西ベルリンの「シェーネベルク/Schöneberg」というエリアにある「ノレンドルフプラッツ/Nollendorfplatz」周辺は、ゲイエリアとなっています。近くの「モツ通り/Motzstraße」と「フッガー通り/Fuggerstraße」は、ゲイストリートといった状態。
ベルリンのゲイシーンの詳細:欧州のゲイシーンを牽引するゲイの聖地「ドイツ・ベルリン」ってどんなところ?
「ベルリン・プライド/Berlin Pride」と呼ばれることもありますが、ドイツではゲイプライドのことを「CSD(=Christopher Street Day/クリストファー・ストリート・デイ)」 と呼びます。
CSDベルリンは、ゲイプライドの起源といえるレジスタンス運動「ストーンウォールの反乱」を記念することに重きを置いています。「ストーンウォール/Stonewall Inn」とは、米国NY市の「グリニッジ・ビレッジ」の「クリストファー通り」にあったゲイバーのこと。
余談ですが、世界的なゲイソング(Gay Anthem)の「YMCA」を歌う「ビレッジ・ピーポー」の「ビレッジ」は、ゲイエリアの「グリニッジ・ビレッジ」を指します。
「ビレッジ・ピーポー」の語感を日本語で表現すると「二丁目ピーポー」のような感じ。
パレードの開催期間&ルート
CSDベルリンは1979年から毎年開催されており、近年の参加者は約100万人と言われています。開催日は、だいたい7月下旬の土曜日。パレードは、約6.5kmの道のりを数時間かけて行進します。
順序は、「1. クアフュルステンダム駅/Kurfürstendamm」→「2. ノレンドルフプラッツ駅/Nollendorfplatz」→「3. 戦勝記念塔/Siegessäule」→「4. ブランデンブルク門/」。4点を繋ぐ感覚で行進します。
パレードの実際の様子(1. クアフュルステンダム駅〜)
ノレンドルフプラッツ駅〜
「戦勝記念塔」〜