8月16日、歌手のマドンナが60歳・還暦を迎えた!
なぜマドンナは、83年のデビューから今日に至るまで、世界で最も影響力をもつアーティストとして、またゲイアイコンとして圧倒的に支持されているのだろうか?
そこで、マドンナ生誕記念として「ゲイ的視点から見るマドンナの魅力」を歴代MVとともに振り返っていきたい。
マドンナの代表曲にしてブレイクのきっかけとなったのが『ライク・ア・ヴァージン』(1984年)だ。
80年代初頭は圧倒的アイドルとして、またファッションアイコンとして一世を風靡。マドンナに憧れる女子たちウォナビーズを生み、また男たちからはセックスシンボルとして愛された。
一見かわいいだけのアイドルに見えるが、マドンナはデビュー前から下積みと苦労を続けてきた。
米・ミシガン州で生まれたマドンナは、大学を中退し、歌手になる夢をかかげトランクと35ドルだけを握りしめて長距離バスで大都会・NYにやってくる。
お金もコネもない田舎娘は、ネズミとゴキブリのでるボロアパートで暮らし、ウェイトレスやダンサーなどでなんとか食いつないだ。
治安の悪い地区に住んでいたこともあり、ある時見知らぬ男にナイフを突きつけられレイプされることもあったという。。
それらの辛い経験から、絶対に屈しない芯の強い女性へとなるべく、ダンスと歌をがむしゃらに励み、ようやくデビューにこぎつけ、『ライク・ア・ヴァージン』『マテリアル・ガール』の大ヒットへとつなげたのだ。
マドンナの功績の一つに、ゲイカルチャーをメインストリームへ押し上げたことがあげられる。
1990年初頭、NYのナイトクラブでは、黒人ゲイたちによる「ヴォーギング」と呼ばれるダンスが流行。
ハウス・ミュージックに合わせてくりひろげられるヴィーギングを『ヴォーグ』(1990)で表現。のちに自身の代表曲となる、世界的大ヒットにつながったのだ。
マドンナは昔からブラックミュージックやディスコを好み、黒人やゲイたちと親交があった。NYではアンダーグラウンドだったゲイカルチャーを『ヴォーグ』通してメインストリームへ押し上げた功績は大きい。
もちろん、デビューから今日までマドンナは一貫してゲイ権利をサポートしている。
ロシアの反同性愛法案が可決された時は抗議に立ち上がり、プライドでのパフォーマンス、グラミー賞で同性カップル結婚式をイメージ、全米同性婚のサポートなどなど、挙げればキリがない。彼女がいたからこそ、アメリカをはじめ世界のLGBT権利が前進したといっても過言ではない。
アメリカにおいて宗教はタブーの一つ。しかし、そんなタブーなどマドンナにはおかまいなし。
『ライク・ア・プレイヤー』(1989)のMVでは、黒人聖像に救いを求めた肌をあらわにした女性(マドンナ)が愛を交わすというもの。祭壇という神聖な場所でセックスすることや、白人のマドンナと黒人の交わり、燃え盛る十字架など大きな物議をかもし、宗教団体から大きなバッシングをうけた。
バッシングは曲だけでなく、当時のCMスポンサーだったペプシの不買運動にまで発展したが、結果マドンナが曲を取り下げることはなかった。
彼女は常に社会的なテーマである、宗教、人種問題、セクシャリティー、倫理、性表現について曲を通して疑問をなげかけており、この姿勢はデビューから一貫している。
曲のテーマもそうだが、流行り廃りの激しいポップ・ミュージック産業を非難し、また大手スポンサーにこびることない女性アーティストは極めてめずらしい。
マドンナには数々のゲイアンセム(ゲイたちに好まれる歌)があるが、その中でも『エクスプレス・ユアセルフ』(1989)は特に好まれている。
タイトルは「あなた自身をさらけ出して」という意味だ。
曲は女性たちの権利解放(フェミニズム)を歌っているのだが、同じくマイノリティであるゲイたちにも刺さる部分が多く登場する。
マッチョな男性社会に抑圧されるのではなく、自分自身の魅力をさらけだして自己表現することの大切さを説いている。
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