フランシス・ベーコンとトビー・マシュー
近代科学の父と言われるフランシス・ベーコンは、ベッドの中でも”実験”を怠らなかったようだ。ベーコンの親戚たちが同性愛行為のために処刑される中、ベーコンは数多くの男性と関係を持ったと言われている。
ベーコンは、後に英国国会議員となるトビー・マシューと法廷弁護士の養成所グレイ法曹院で出会い、すぐに意気投合する。ベーコンの随筆集の中にある友情についての作品は、マシューとの関係から着想を得ていると言われている。
クリスティーナ女王とエバ・スパーレ
グスタフ2世アドルフの唯一の子であるスウェーデンのクリスティーナ女王は歴史家が「女王はインターセックスだったのでないか」と疑問を投げかけるほど、男らしく育てられたという。
事実、クリスティーナ女王は侍女エバ・スパーレと非常に長い間関係を持っていたという。エバは結婚した後も、クリスティーナ女王と頻繁に手紙のやりとりをしていたという。最終的にクリスティーナ女王は王族の執拗な詮索に嫌気がさし、王位を退位した。
アルカンジェロ・コレッリとマッテオ・フォルナーリ
17世紀において最も影響力のある作曲家であるアルカンジェロ・コレッリは、枢機卿ピエトロ・オットボーニからの寵愛を受けていたゲイの芸術家の一人であった。
そのため、コレッリはある程度自由にゲイロマンスを楽しむことができていたそうだ。コレッリはカンチェリアという男子音楽学校に滞在していた際に、バイオリニストのマッテオ・フォルナーリと恋愛関係にあったと言われている。二人の関係は20年にも及んだそうだ。
フランシスコ・コレア・ネットとマニュエル・ヴィーガス
厳しい宗教裁判に先立ってポルトガルではゲイロマンスが見られたようだ。
シルヴェス大聖堂の聖具保管担当者であるフランシスコ・コレア・ネットと音楽家マニュエル・ヴィーガスの関係は、手紙によって明らかになっている。
コレアのヴィーガスに宛てた手紙は「男同士で寝たらそこに女性器はない。あるのはペニスだけだ」などという露骨なものや「僕の君への気持ちは1時間も待てないよ。君との時間や甘い言葉をいつも思い出してるよ」という愛に溢れたものまでさまざまだ。
コレアはヴィーガスからの手紙を全て破棄していたが、ヴィーガスは全て保存しており、恋愛関係が終わった後にシルヴェスの牧師に告げ口したと言われている。告げ口によってコレアが裁判にかけられることはなかったが、ヴィーガスの行為はあまりにも残酷な中世のアウティングと言えるだろう。
ジャン・ガストーネとジュリアーノ・ダミ
メディチ家最後のトスカーナ大公であるジャン・ガストーネは、同性愛が容認されていたヨーロッパにおいて数少ない地域「フィレンツェ」で、夢のような生活を送った。
ガストーネは歴史上の他の同性愛者と異なり、子孫を残していない。
その代わりにガストーネは冒険家ジュリアーノ・ダミを従僕として従えたという。しかしダミのガストーネに対する忠誠心にも関わらず、ダミはガストーネの愛人の域を出ることはなかったそうだ。
ガストーネはダミを連れて頻繁に海外に旅行をしていたが、ダミの専らの役目は乱交のためのイケメン探しだったと言われている。