2016/06/25

【コラム】「オーランド事件」がどうして起こったか?LGBTの心理から考える

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村上裕/コラム

 

Written by 村上裕(ゲイの心理カウンセラー)

 

「オーランド事件」がどうして起こったか、をLGBTの心理から考える -「私」だったかもしれない「彼」 -

 

初めまして。

村上裕(むらかみゆたか)と申します。

 

2007年から男性同性愛者(ゲイ)であることをカミングアウトしながら、現在は日本の東京都と大阪府にて、心理カウンセリングを提供させて頂いています。

 

私は男性同性愛者であることを公言しながら、心理学を背景とする心理カウンセラーを職業としているため、LGBTQI当事者や周辺家族、性やパートナーシップにまつわる悩みを持つ人々から、心理相談をお引き受けすることが多いです。

 

この9年のなかで、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、GID、DSD、アセクシュアル、ノンセクシュアル、クエスチョニング、ストレート、等、多くのセクシャリティを持つ方々と、心理相談の現場を共にしてきました。臨床数は延べ約1,000件程です。

 

今回のオーランド事件について何度も何度も記事を目にし、様々な記事を読むたびに、抑えきれない涙が溢れました。

涙が止まらなくて、駅のトイレに駆け込んで、声を殺して泣いたこともあります。

心は悲鳴をあげて、知ること、認識すること、分析することを拒否しようとしました。

 

しかし、どうしても私には、オーランド事件をやり過ごすことができませんでした。

オーランドの「50人目の彼」は、もしかしたら、もうひとりの私だったかもしれないから。

または、私や、私の家族、パートナー達、友人達が「奪われた49人」になっていたかもしれないから。

 

私は幼少期に差別を受けたことのある男性同性愛者で、虐待とイジメを経験した人間だからです。

憎しみ(Hate)から憎しみ(Hate)を生むのでなく、憎しみから愛を生もうと呼びかける人々が、世界中にたくさん居ます。

例えば、アメリカ、フランス、オーストラリア、イギリス、ドイツに。

例えば、新宿2丁目や澁谷交差点、スカイツリー、他にも多くの場所に。

だから、オーランド事件からは、新しい憎しみだけでなく、きっと愛も生まれる。

オーランド事件のことを考え続けるうち、私の心のなかにも願いが湧くようになりました。

 

憎しみではない、違う何かを生み出すこと。

来年で10年となるこれまでの間、マイノリティの心理に触れ続けてきた私ができることは、なんだろう。

私が気づいたこと、考えたこと、伝えたいことは何だろう。

そうして分かったのは、私が生み出したいものは「 理解 」だということです。

なぜなら、犯人は頭のおかしい異常者ではなく、世界に生きる誰もと同じ心を備えた、ひとりの人間であることに違いないからです。

 

もしかしたらこの日本の中で、犯人の心に何が起こっていたかを、LGBTの心理的観点から表現する人間は、多くないかもしれない。

それなら、この考察は多くの人々に表すべきだと思ったのです。

100人以上を殺傷した虐殺犯であるオマル・マティーン氏は、もう居ません。

本人と会話できない以上、これから述べるのは、私の仮説に過ぎません。

 

しかし、あの事件がなぜ起こったか、なぜ起こされたか、

あの事件を起こした「 心 」とは何だったかを、議論するきっかけとなれば幸いです。

そして、ご自身の心を感じながらオーランド事件を考えて頂けたなら、なお幸いです。

 

「50人目の彼」については、GAWKERの記事を参考とし、もしかしたら、オマル氏がゲイ男性、またはバイセクシュアル男性であったかもしれないと仮定します。

 

以降「男性同性愛だったかもしれない、オマル・マティーン氏のセクシュアリティ」については「オマル氏の性質」または「性質」という表現で一環します。

(※性質と表現するのは、性的指向や性自認が個人の趣味趣向によって選択できるものでなく、命が発生したときから決定されている、先天的なものだからです。)

 

これから、

発達心理学から、愛着理論、

交流分析から、禁止令とゲーム理論、

認知心理学・社会心理学から、ハロー効果、ピグマリオン効果、ラベリング効果、

人間性心理学から、マズローの5段階欲求、

精神分析・ユング心理学から、投影、

を、それぞれ引用しながら「50番目の彼」の心を推測していきます。

 

発達心理学は、人間の心がどのように成長してゆくかに注目した心理学です。

そのひとつに、愛着理論があります。

愛着理論は、簡潔に独自解釈をすれば「養育者との関わりによって、ひとが愛情を持つための仕組み」で、幼児のころだけでなく、成長した後も、人生のあらゆる場面で影響を与えます。

オマル氏はアラブ系移民であるルーツを持ち、イスラム教の家庭で育ちました。

 

現代の日本では宗教を持つ家庭というのはあまり馴染みがないかもしれませんが、家族の規範に宗教が組み込まれているというのは、個人の人生を最後まで左右するほど、影響が大きいのです。

宗教は家系に継承されてゆくごとに、個人の意思とは無関係に、いっそう人生への影響力を強めます。

 

イスラム教の知識は個人差があると思いますが、イスラム教圏の国々では同性愛者が逮捕~死刑になる環境であることから、男性の優位性が強く、男女の婚姻や、男子の出子が大切にされることは、想像が及ぶと思います。

 

オマル氏は、アメリカに移住してきたイスラム教アラブ系移民の家にうまれた男子です。

”同性愛は死刑に相当する罪悪であり、男性は女性と結婚し子をなすもの”という価値観をもつイスラム教家庭に育ち、成長した後もそのルールの中でが生きるなか、「オマル氏の性質」を念頭におけば、家族という、本来は彼の安全を得るための場所は、愛着理論における安全基地には成り得なかったのだと考えられます。

愛着理論における安全基地とは、簡潔に独自解釈をすれば、人間が生きていくために必要不可欠な「自分の存在の安全が約束されていて、生きるための活力を補給するための場所や人間関係」のことです。

 

彼が成長する過程、例えば思春期の頃など「オマル氏の性質」に気づいたのだとすれば、彼は、家族という安全基地を失うという喪失体験もしていたことになります。

そして、思春期よりもっと前に彼が「性質」に自覚的だったのであれば、彼にとって、生まれ育った家族は、そもそも安全基地ではなかったのかもしれません。

 

次に、交流分析の禁止令とゲーム理論から考えてみます。

交流分析とは、人間と人間が起こすコミュニケーションに着目した心理学です。

どうして不快とわかっているコミュニケーションを止められないのか、というテーマや、より良い人間関係をつくるには?、というテーマで、恋愛からビジネスまで幅広いシーンで用いられることが多いです。

この交流分析のなかに、禁止令という概念があります。

 

主に幼少期~思春期の間に、養育者や周囲の大人や子どもから与えられたり、生存本能によって自らつくりだしたりする、無意識(自分では自覚できない深層心理)の価値観のことで、その個人の心に深く影響を及ぼします。

幼児期のトイレットトレーニングが、最も身近な一例です。

 

禁止令にはいくつかの種類があるのですが、種類分けをせずに全て羅列をすると、

「存在するな」「成長するな」「自分の性であるな」「子供であるな」「重要であるな」「成功するな」「所属するな」「健康であるな」「親しくするな」「感じるな」「考えるな」「実行するな」「欲しがるな」「完璧であれ」「満足させろ」「努力しろ」「強くあれ」「急げ」「楽しむな」 「愛されるな」「幸せになるな」「自立するな」、などがあります。

 

この禁止令は、本人が自覚しない限り、生涯に渡って本人の行動選択や感情の想起、対人関係、家族との関わり、仕事への態度、自己実現の方向性など、あらゆることに無意識に影響を与え続け、時に、人生そのものを深く支配します。

 

個人の自由な価値観よりも宗教的価値観を重んじる家庭で育ち、アラブ系住民という人種差別の対象となり得る環境で生きながら、自身の「性質」に気づいたとしたら、彼には23の禁止令のうち、どれだけのものが与えられたでしょうか。

 

婚姻関係を重んじる男性性の強い宗教を持つ家庭で育ち、人種差別を受けた可能性が高く、男性同性愛者であったかもしれない彼に、

「存在するな」「自分の性であるな」「重要であるな」「所属するな」「親しくするな」「感じるな」「考えるな」「欲しがるな」「完璧であれ」「努力しろ」「強くあれ」「楽しむな」「愛されるな」「幸せになるな」というような禁止令が与えられたとしたら、どのような人生になるのでしょうか。

 

そして、ゲーム理論の観点からも考えてみます。

ゲーム理論とは、簡潔に独自解釈をすれば「プラスの人間関係がつくれないとき、ネガティブでも良いからコミュニケーションを続けたい心理」のことです。

小さい子どもが、好意を持った子どもに対してうまく好意を伝えられない時に、意地悪をしてしまうの一例です。

 

もちろん、大人にもあります。

本当は仲良くしたいのに、うまくコミュニケーションがとれなくて嫌な態度をとってしまった経験が、誰にでもあるはずです。

 

オマル氏が男性同性愛者だったとして、家庭環境、生活環境、心理的課題から、周囲のLGBTとプラスの人間関係がつくれなかったとしたら、ネガティブなコミュニケーションを繰り返したであろう彼の人生は、どのようなものであったでしょうか。

彼の周囲にどのような人々が集まり、個人としての彼の自尊心は、どんなものになったでしょうか。

 

続いて、認知心理学・社会心理学から、ハロー効果、ピグマリオン効果、ラベリング効果、の観点で考えます。

 

ハロー効果は、簡潔に独自解釈をすれば、後光が指すことでその存在がより強調されるように、個人のある一部分の印象が強烈であるがゆえに、その印象が個人全体の印象にすり替わってしまう、無意識の心の仕組みです。

例えば、普段から人付き合いをせず、他人に対しても無愛想で高圧的な人が、ある時、飢えた子猫にエサを与えている光景を目撃したとき、その人が善人に見えるようなことが一例です。

 

ピグマリオン効果は、同様に解釈をすれば、人間は他人が自分に何かを期待しているのを知ると、その期待に応えようとする、無意識の心の仕組みです。

例えば、親から成績優秀であることや、言うことに素直に従う手間のかからない子であるのを期待されているのを知った子どもが、勉強を頑張り、親の要望に応えようとするようなことが一例です。

 

ラベリング効果は、同様に解釈をすれば、人間は他者が自分にある属性を付与すると、その属性どおりに行動するようになってしまう、無意識の心の仕組みです。

例えば、子どもに対して「あなたは不良だ」と言ったとき、その子どもが不良らしく振るまい始めることなどが一例です。

 

重要なのは、これらの効果は、他人との関わりから生まれるだけでなく、自分から自分に対しても発生するということです。

 

ハロー効果をふまえると、イスラム教家庭で育った彼が自身の性質に気づいたとき、彼は自分をどのような存在と認識したでしょうか。

イスラム教では、”同性愛は死刑に相当する罪悪”なのです。

 

ピグマリオン効果をふまえれば、彼は家族や周囲の期待にどのように応え、自分で自分に何を期待したでしょうか。

イスラム教では、”男性は女性と結婚し子をなすもの”なのです。

 

ラベリング効果をふまえれば、彼はどのようなラベル(又は、レッテル)を周囲に付与され、自分に付与したでしょうか。

アラブ系アメリカ移民は差別の言動を受けやすい人々であり、差別を初めとする暴力被害者は自分の存在価値や自尊心を低く感じることが、研究によって報告されています。

(参考:いじめの被害-加害経験と自尊感情との関係 ―大学生を対象にした遡及的調査研究― 吉川延代氏、今野義孝氏、会沢信彦氏)

 

 

また、マズローの5段階欲求説と、認知的欲求不満の観点から考えます。

心理学者のマズローによって提唱された5段階欲求説は、簡潔に独自解釈をすれば、人間が自己実現をしてゆくうえで感じる「生理」「安全」「所属と愛」「承認」「自己実現」の5つの欲求のことです。

 

生理的欲求は、食事や排泄、呼吸、睡眠、を初めとする、人間が生きる上で必要不可欠なことを満たしたいという欲求です。

安全欲求は、生きてゆくうえで、暴力をふるわれない、身体的・精神的危害を与えられない、災害や自然環境の危険を防ぐ、など自分の安全を満たしたいという欲求です。

所属と愛の欲求は、個人として自分がどんなグループやコミュニティに所属しているかを認識し、そのグループやコミュニティの中で愛情の交換を行いたいという欲求です。

 

自己実現の欲求は、個人としての自分の存在や能力を活かし、社会の中で何かを成してゆきたいという欲求です。

欲求は、プラスの感情や行いで満たすこともできますし、マイナスの感情やネガティブな行為で満たすこともできます。

マズローの5段階欲求説をふまえれば、オマル氏の5つの欲求は、どのように満たすことができたのでしょうか。

 

認知的欲求不満の観点ではどうでしょうか。

認知的欲求不満というのは、簡潔に独自解釈をすれば、「それ」が「ある」と人間が認識したとき、好意的な感情から発生する接近欲求(知りたい、近づきたい、触れたい、他)と、嫌悪的な感情から発生する回避欲求(知りたくない、遠ざかりたい、感じたくない、他)が自然にうまれるも、その欲求が満たされない時に発生するネガティブな状態のことです。

 

近接欲求が満たされないというのは、知りたいのに知る術が無い、近づきたいのに近づけない、触れたいのに触れるべき相手が居ない、ということです。

回避欲求が満たされないというのは、知りたくないのに情報が入ってくる、遠ざかりたいのに距離をおけない、感じたくないのに実感してしまう、ということです。

 

欲求不満がうまれた時、人間は、攻撃・逃避・防衛、のいずれかの行動をとることで、欲求不満を解消しようとします。

攻撃・逃避・防衛、のうち、最も選択されやすい方法は攻撃であると言われています。

攻撃とは、例えば、欲求不満を引き起こしている存在を抹消することで、欲求不満を解決しようとすることです。

 

世界に同性愛という性質が存在すること、周囲に同性愛者という存在がいるかもしれないことを知ったとき、同性愛について知る術が無かったとしたら近接欲求は満たせず、また、誰が同性愛者か分からないがゆえに回避欲求も満たせません。

同性愛という性質や同性愛者を深く知らない人々が、同性愛という性質を非難したり同性愛者を迫害するのは、宗教上の理由を別とすれば、認知的欲求不満を解消しようとする攻撃行動と考えることができます。

 

そして、人間は自分という存在からは、回避することができません。

自分の内に、認めたくない感情や、否定したい性質、拒絶したい属性を見出したとしても、回避欲求を満たすことはできません。

 

自分という存在は常に身近にあり、遠ざけることはできないからです。

自分という存在への認知的欲求不満を解消しようと自分へ攻撃を行うとき、自殺や自傷行為を初めとする、悲しい出来事を引き起こします。

 

オマル氏は、アメリカ社会において人を撃てば自分も撃たれることを知っていたはずです。

公共の場で人を撃つということは、自分も殺されることを予想しての行いであったはずです。

多くの人々が集まるクラブで人を撃つということは、凶行を止めようとする他者の手で自分を殺してもらうという、間接的な自殺だったのかもしれません。

 

最後に、彼がなぜ銃撃による多数のLGBTsの虐殺を行ったか。

フロイトの精神分析やユング心理学など、投影(目の前のものに、無意識に価値観や感情を重ねること)を初めとする無意識を扱う心理学においては、銃は、攻撃性や男性性の象徴とされています。

男性性へのコンプレックスがあり、攻撃性が高まっていたから、銃を使ったのか?

私は心理の臨床家として「銃」という武器には、それ以上の意味があると感じます。

オマル氏が、なぜ刃物や科学薬品や爆弾でなく、銃を選んだのだろうと考えた時、ある心理カウンセリングでの光景を思い出しました。

 

投影を活用する心理療法のひとつに、箱庭療法というものがあります。

砂を敷いた箱のなかに、自由に物を置いていく心理療法で、普段は意識化できない無意識を可視化することができます。

 

この箱庭療法を、ある女性のクライントとご一緒していた時のことです。

その方が創った箱庭のなかには「銃を持った兵士」が登場していました。

箱庭療法を進めてゆくなか、その兵士がなぜ銃を持っているのかと聞いたとき、彼女はこう言ったのです。

「この兵士が悲しくて、どれだけ、泣いたり、喚いたり、叫んだりしても、だれも気づかないし、気づいた人も見てみぬふりをする。だれも気づかなくて、気づいたひとも無視をするから、この兵士は、大きな強い銃で、気づいて欲しい自分の悲しみを、直接相手の心の中にねじ込んでやりたいと思っている」

 

銃で他人を殺したいのではなくて、銃という身体の中に弾丸を潜りこませる道具を使うように、気づいてくれない人や無視をする人達に、無理矢理にでも自分の悲しみを伝えたかった、と、いうことなのです。

「無理やりでもいいから分からせたいと思うくらい、悲しい気持ちを誰かにわかって欲しかったんですね」

と伝えたとき、彼女は、とめどなく涙を流しました。

 

この時の心理カウンセリングを思い出しながら、もしもオマル氏が同性愛者だったとしたら、オマル氏が数多くある人殺しの道具のなかで「銃」を同胞に向けたのは何故だったのだろうと、思うのです。

他にも多くの心理学からも、オマル氏の心理を考察することは可能です。

例えば、ネガティビティ・バイアス、防衛機制、反動形成、認知の歪み、などは直結しているでしょう。

 

返報性の法則と一貫性の法則からも、有効な分析ができるはずです。他にも多様な心理学から、彼の心理を考察することができます。

多くの心理臨床家・心理研究者によって、オーランド事件における様々な心理的考察が続けられることを期待します。

 

 

キリスト教的発想をすれば、彼の魂は永遠に地獄に堕ちることになるのだと思います。

どんな理由があっても、暴力は悪いことです。

 

ですから、オマル氏は49人を虐殺し、53人に傷害を与えた極悪人ということで適切なのだと思います。

殺害された49人が、殺さるべき理由も、殺されて良い理由も、世界中のどこにも存在しません。

彼が行った虐殺は、間違いなく悪であり、許されるべきではないことです。

 

しかし、もしも、彼が私と同じ、男性同性愛という性質を生まれつき持った人であったならば、私は、彼をモンスターと感じる多くの人々の心に対して、彼をモンスターから人間に戻さなくてはならないと思いました。

彼はモンスターではなく、ただひとりの、当たり前の人間だったと証明したかったのです。

 

オーランド事件は、頭の狂った訳の分からない心理を持ったモンスターが起こした凶行ではなく、この世界のどこにも行けなくなった悲しいひとりの人間の行いだと、私は訴えたかったのです。

人生の道に迷った人が、戻り方も進み方も分からなくなったまま、泣き叫ぶ代わりに銃の引き金を引いた、悲しい出来事だったかもしれないのです。

 

それでも、オマル氏が人間ではなくモンスターだとするのならば、彼は、生まれつきのモンスターだったのではありません。

彼は、間違いなく人間だったからこそ、人間の心が持つ自然な仕組みによって「モンスターに成った」のです。

そして、モンスターは、心理学の見地から見れば、セクシャリティに関わらず誰もが成りえる可能性のひとつです。

オーランド事件は、きっと、世界中の誰もが当事者です。

 

憎む前に、会話と対話を。

憎しみがうまれたとしても、会話と対話を。

人種や、セクシュアリティや、地域や、宗教や、血統や、疾病や、ありとあらゆる障害を乗り越えて、誰もが持つ心と心で行う会話と対話が行われることを、心から、願います。

憎しみから、新しい憎しみと絶望を生まないために。

憎しみと絶望から、愛と理解がうまれますように。

 

オーランド事件に痛みを感じる世界中のひとたちの間で、たくさんの会話と対話がなされてゆきますように。

そのとき、このコラムに書かせて頂いた心理学が、人の心というものを理解する一助になったなら、幸いです。

 

CCライセンスを設定してありますが、悪意的な目的でななく、原文を改変しなければ、営利目的に使用して頂いても構いません。

 

 

日本ではない国に暮らす皆さんへ。

このコラムの原文は村上裕によって日本語で書かれ、小林クリストファー太によって、現在英訳中です。

あなたが日本語を使わない国に暮らしているのならば、このコラムをあなたが使う言語に翻訳し、あなたの家族や友人、パートナー、仕事で関わる人々との関わりに用いて頂けたなら、とても嬉しく思います。

 

当たり前に私達を動かす心の仕組みを踏まえ、オーランド事件から愛と理解を生んでゆくコミュニケーションを行うようなオーランドキャンペーンが、国境と時代を越えて起こり続けることを期待します。

次の「奪われた49人」も「50番目の彼」も、もう二度と、うまれて欲しくないと願う人間のひとりとして。

 

カウンセリングルームP・M・R
ゲイの心理カウンセラー
村上裕

 

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