あのNHK大河の題字をてがけた書道家が登場!
──今は書道家として日本とフランスを行き来し活躍していますが、もともと書道は副業でされていたと聞きました
M:そうなんです。
これまで書道家として生計を立ててきたわけではなく、いろんな仕事をしてきた中で副業として続けていました。
たとえば、美容師の免許をとってNYで美容師をしたり、バンタン専門学校ではメイクの非常勤講師をしたりと。ある時は音楽事務所のマネージメントチームで働いたり、その会社が運営する鹿児島料理店で店長をしたりと、本当に色々してきましたね。
──美容師から飲食まで幅広いですね。副業だった書道を、本業に切り替えたキッカケは何だったのでしょうか?
M:いろんな仕事をしながらも、雑誌の目次やタイトルロゴデザインをやったり、定期的に個展をしたりと、書はライフワークとして続けていました。
転機は2011年の東日本大震災ですね。
この時「アーティストで生きていきたい」と強く思い、書道家になる決意をしました。
──そこでフランスに拠点を移して活動しようと。でもなぜパリではなく、ボルドーを選んだのですか?
M:もともとはパリに住むと決めていました。
しかし、パリに住む親友から「パリはやめたほうがいい。誘惑が多いからMaayaは絶対遊ぶだろうし、まずは田舎町に行ったほうがいい」と。
そのあと、以前ルーヴル美術館のNPOグラン・ルーヴル・オ・ジャポンのロゴ制作の際にお世話になったコリーヌさんという方から数年ぶりに連絡があり、移住の件を話すと、彼女もまたパリはやめた方がいいとおっしゃるんですよね。驚きました。
彼女からは「もしウォーミングアップに1年ボルドーに住むなら、人生の途中下車にしてはいいチョイスじゃないかしら?」とアドバイスをもらい、ボルドーに住むことを決意しました。
たしかに、パリの大都会で外国人がいきなり家を借りるのは大変ですし、ましてやフランス語もしゃべれない。まずは試しにボルドーで1年過ごしてみようと。
ただ、住んだのがボルドーの郊外で、家にWi-Fiもなく、近所には英語がしゃべれる人も少ない…最初に友達ができるまでの半年は地獄のような日々でした。
毎日辛すぎて部屋にひきこもっては、「闇」という字をひたすら描いていましたから(笑)
──半年も!言葉も通じない海外で一人で生活するのは相当大変だったと思います。慣れてきてパリに移り住もうとは思わなかったのでしょうか?
M:住んだ当初はWi-Fiもないし、日本の友達ともたまにしか連絡できず、毎日泣いていましたね。
ただ半年経つと徐々に好転してきて、生活にも慣れてくるとボルドーという街が好きになっていきました。
パリほど都会じゃないですが、そのサイズ感というか、人の暖かさに触れることも多く、とても素敵で過ごしやすい街だなと。伝統と革新もあり、ワインも美味しい。
よくよく調べてみると、ボルドーはフランス人が住みたい街ランキングで常に上位らしく、またヨーロッパの人気観光都市ランキングで1位になったこともあるんです。
──フランスはLGBTに対して開かれた国だと思いますが、住んでみて現地のゲイカルチャーはどうでしょうか?
M:フランスは本当にLGBTに対して寛容な国だと思います。
パリだとゲイバーは多いですが、ボルドーにも何軒かバーがあります。
ボルドーに住んだ当初は毎日寂しすぎて、ひたすらゲイバーの情報を探していました。だけど一人で入る勇気もなく、それからアントニオという初めてのボルドー現地の友達ができて連れて行ってもらいました。
念願のゲイバーに浮かれていた私ですが、その時、アントニオの彼女のセリーヌがこう言ったんですよね。
「Maayaはそんなにゲイバーゲイバーっていうけど、ゲイは街中にいっぱいいるわよね。だからわざわざゲイバーに行く必要なんてないんじゃないの?」と、その言葉がストンと落ちてきました。
あ、自分はなんてゲイに執着していたんだろう、って。私には目から鱗でしたね。
たしかに、フランスは同性婚が合法だし、道端でもカフェでもオープンなゲイはたくさんいますから、わざわざゲイバーに行かなくても出会いはある。
それからは、もっと性別も年齢もセクシュアリティも関係なしに人付き合いしていこうと心に決めましたね。
──日本だとゲイの友達を作ったりゲイバーに行ったりと、ゲイコミュニティに入ろうとする傾向があるので、なかなかその感覚に気付けないですよね。そのほか、フランスに住んで気づいたことはありますか?
M:とにかく役所の手続きが悪い、ストライキが多い、バカンスに対する意識が日本と全然違う…などなど、挙げればキリがないですが、一番は芸術家に対するリスペクトがあるところですね。
初めて会う人に職業を聞かれて「書道家」と答えると、相手の態度がころっと変わりますから(笑)
とあるエピソードがあって。
移住当初お金がなかった頃、はじめに住んだ家の大家さんがクリスマスの前に「家にある作品を全部持ってきて」と言われたんです。ブルジョワ層は特に高いクリスマスプレゼントを贈り合う文化があるので、友達のマダムたちにMaayaの作品を紹介してあげようと。
当時は小さい作品ばかりだったのですが、マダムたちから「わたしのために大きな作品を描いて欲しい」と言われたり、大家さんも「この内容で10枚ぐらい書いて欲しい」などとリクエストしてくれたり、とても太っ腹だった。
そのおかげもあって駆け出してお金がない時期もなんとか乗り越えることができました。
つくづくフランス人は芸術家に対するリスペクトがあるなと感じていますね。
次のページ|フランス人にとってアートは買うもの