先日、15年の歴史に幕を閉じることが発表された日本最大のゲイナイト「Shangri-La@ageHa(通称アゲハ)」。
日本のみならずアジアを代表するゲイナイトだが、その突然の終了に動揺を隠せない人も多いのではないだろうか。
そこで、「Shangri-La」オーガナイザーである吉田氏が、ジェンクシーのインタビューに答えてくれた。
「Shangri-La」終了の真相から、知られざるアゲハの裏話、90年代のゲイシーンから現代のSNS論に至るまで、濃密なロングインタビューをお届け!
GENXY:突然の終了宣言に、日本中のゲイたちは驚きを隠せないと思います。
ズバリ、なぜ15周年のタイミングで終了されるのでしょうか?
吉田氏:終了する理由は二つあり、私自身の引退と、若い人に新しいブランド(ゲイナイト)を作ってもらいたいということです。
私は長年クラブビジネスに携わっており、「Shangri-La」は15年ですが、ゲイナイトをはじめて24年、クラブの仕事にたずさわり30年経っています。
そろそろ後輩にゆずらないと、若い人が新しい試みができなくなる。
「吉田さんには敵わないよ〜」となるのではなく、僕が引退することで、クラブで遊ぶ立場の人たちが「自分たちで楽しいイベントを作ろう!」という、作り手側が増えることを期待しています。
あとは、自分自身の気力体力の低下も大きいですね。
私自身もうすぐ還暦を迎えることもあり、クラブシーンからの引退と合わせて、「Shangri-La」というブランドはひとまず終了しようと。
そうなると「Shangri-La」終了以降の来年は、アゲハでのゲイナイトは一切無くなるのでしょうか?
現在調整中なのですが、新しいスタッフが新しいブランドとして、年1〜2回はアゲハで開催する予定です。
「Shangri-La」のような規模のゲイナイトが全く無くなると、日本のゲイシーンから火が消えてしまう。「Shangri-La」を楽しみにしている全国のゲイたち、アジアのゲイたちもいっぱいいますからね。
吉田さんが「Shangri-La」をはじめとする、ゲイナイトをスタートしたキッカケとは?
私がゲイナイトをスタートしたのは、1993年に日比谷ラジオシティでやった「ジャンボリー」というイベントが最初です。
私もそうでしたが、その頃クラブ仲間たちはみんなNYに影響されていました。
私も毎年NYのゲイナイトに遊びに行き、それはそれは雷に打たれたような衝撃を受けましたね。
NYに「ROXY」という大きなクラブがあり、毎週土曜日に3000人規模のゲイナイトが開催されていました。そこでは見渡す限りマッチョマッチョマッチョ・・・本当に衝撃でした。
みんなマッチョなのに上半身脱いで踊っていて、とにかく熱気がすごかった。まさしく「マッスルビーチ(筋肉の海)」なんですよ。
それを見た時、今は亡きミッキーさん(二丁目のクラブ「アーティーファーティー」「アネックス」のオーナー)と一緒に「こういうパーティーを東京でやりたいよね」っていって始めたのが、日比谷のラジオシティだったんです。
80年代後半・90年代初頭は、ゲイカルチャーが一気に華咲いた時期ですよね。当時のゲイナイトはどういう雰囲気だったのでしょうか?
90年代はクラブカルチャー全盛期でした。
1989年にオープンした伝説のクラブ「GOLD」では、毎月第一日曜にゲイナイトが行われており、オールナイト開催で月曜の朝に終わるもんだから、みんな月曜は仕事休んで遊びにきてたぐらい(笑)とにかく活気があった。
当時、ゲイナイトといえば、デザイナーやヘアメイクやスタイリストなど、ファッション業界人のための社交場のような雰囲気だった。
だけど私たちがやりたいゲイナイトは、あのNYで体験したような、みんな上を脱いでダンスして熱狂するようなガタイ野郎系のゲイナイトだったんです。
そこで、オシャレなものではなく、ガタイ野郎系にフォーカスして始めたのが日比谷ラジオシティのゲイナイトですね。
そのあとは、外専向けの「RING」だったり「RED」だったり、いろんなバリエーションのゲイナイトが増えてきました。いろんな層のゲイたちが遊べるイベントが揃ってきたのが、90年代の中盤ぐらいですね。
毎週末どっかしらで中規模(500人〜1,000人)のゲイナイトが開催されていて、東京のゲイナイトシーンが一番盛り上がっていた時期でした。
そこから2002年に大箱であるアゲハの誕生をきっかけに、「Shangri-La(前身は、Paradise Ball)」をスタートし今に至りますね。