こんにちは!台湾在住ライターのMaeです。
GENXYでのライター歴はもうすぐ6年、台北生活は丸13年。海外在住年数もほぼ、人生の3分の1に差し掛かりました。そんな筆者はそもそも、なぜ台湾に住んでいるのか?どうやって日本から移住したのか?現地で暮らし始めてどんな変化があったのか?今日は少し趣向を変えて、GENXYの中の人のお話です。
「どうして?」と、改めて尋ねられると自分にもよく分かりませんが、中学高校の頃から海外にすごく興味がありました。
理系でしたが、当時から地理や英語の授業が好きで。いつか行ってみたい、できることなら暮らしてみたいという気持ちは、ずっと心に燻っていた気がします。RPGのゲームも大好きだったので、もしかすると今いる場所とは違う「未知の世界」という存在に惹かれていたのかもしれません。
初めて海外へ行ったのは、大学卒業の間際でした。社会人生活のスタートが間近に迫っていることを思うと、「これが最後のチャンスかも」という気がして。外国語を話せると言うにはほど遠い状態でしたが、一人旅で挑戦してみることにしました。
長年の憧れから自分で決めたことではありながら、いざパリの空港に到着した瞬間は正直、とても怖かったです。外へ出る勇気が湧かず、1時間近くトイレに閉じこもっていた記憶があります。
そんな弱虫ぶりながら、何とか勇気を振り絞ってチケットを買い、市内中心部行きのバスに乗り込んでみる。すると不思議なことに、さっきまで感じていた不安が一気に振り切れました。チケットを買えた。バスに乗れた。そんな日本なら当たり前にできることをやり遂げられたのが、本当にうれしくて。小さな成功体験を経て、恐怖心よりも好奇心が優ってくると、急に旅が楽しくなってきました。
初めて五感で体験した海外は、想像の何倍も面白く、ワクワクに満ちた場所でした。
街並み、料理、芸術、歩いている人々、出会うもの全てが新鮮で。店内へ入る勇気こそなかったものの、レインボーフラッグがあちこちに掲げられたエリアを歩いているだけでも楽しくて。同性に惹かれる自分をちょうど悩んでいた時期でもあったのですが、「もっと自由に生きられる場所があるのかも」という希望が湧いてきました。
「海外に住む」ことが、漠然とした夢から具体的な目標になった。そのきっかけと言える、貴重な体験でした。
社会人になってからも年に数回、短期旅行でアジアの街を訪れるようになりました。その目的地の1つとして、ある旅行で訪れたのが、台北。台湾に興味があったからというわけではなく、まだ行ったことがなく、日本から近く、予算もクリアできる、という単純な理由だけで選びました。
初めて来たとは思えないような、懐かしさや親近感。台北に到着してみると、これまでに訪れたどの海外の街よりも、しっくりと馴染むような不思議な感覚に襲われました。
インターネットを通して、旅行前からひとりの台湾人の男の子とも知り合っていたのですが、現地で彼の友人たちも交えた食事に行ってみると、ごくごくカジュアルに恋愛やLGBTの話をしていて。公共の場でLGBTという言葉すらまだまだ聞かれることが少なかった当時の日本に対して、不特定多数の集まる場でもそういう話を堂々とできる環境が純粋にすごいと思えました。
ゲイスポットとして知られる西門紅樓のオープンさにも驚きましたし、「進んでいるな」という印象は10年以上前の当時からすでにあったように感じます。
街全体に漂うゆったりとした空気やおいしいもの、はつらつとしたポジティブな人々に囲まれた環境も、とても魅力的に映りました。「台湾に住んでみたい。」まだ何ひとつ目処は立っていませんでしたが、直感的にそう感じたのが、台湾を目指し始めたきっかけでした。
今でこそリモートワークが発達していますが、その当時に台湾で収入を得ながら暮らすことを考えると、現地企業に雇用してもらう「現地採用」を目指すのが一番現実的かと思いました。まずは中国語の能力が必須と考え、その旅行から帰国してすぐ、独学で中国語の勉強を始めることに。仕事をしながら貯金しつつ、2年ほど勉強してから、台湾での語学留学に挑戦しました。
日本での仕事を辞め、家族の心配も押し切って、ようやく実現させた語学留学でした。周囲を納得させられるだけの結果を出してみせる。そんな意地もあったので、あえて日本人留学生が少ない語学学校を選ぶ、授業の予習・復習を欠かさないなど、勉強はストイックに進めました。
語学学校には1年在籍し、その間に現地の職探しサイトを活用しながら就職活動。結果的に運良く仕事を見つけることができ、現地採用の会社員生活がスタートしました。途中転職もしつつ、今に至るという感じです。就労ビザを取って丸5年が過ぎ、現在は永住権を取得しています。
就労ビザ申請の煩雑な手続きや、比較的高額な法定の最低給与、企業規模など、外国人の雇用には企業側にも多数の条件や負担がかかります。そのため、それらを考慮してでも企業側が採用したいと思える経験やスキルがあるかどうかが勝負かと。僕の場合、日本でグラフィックデザインの仕事を3年間やっていた経験があり、結果的にそれがご縁につながりました。
現在もデザイナーとして働いていますが、その傍で台湾情報を発信する『にじいろ台湾』というブログも始めることに。ブログをきっかけに、日本のWebメディアで記事を書かせていただくチャンスにも恵まれました。GENXYとのご縁があったのも、文字で情報発信をしていたおかげかと思います。
台湾では2019年に、同性カップルも結婚ができるようになりました。台北の街では、手をつないで歩く同性カップルの姿も高頻度で見かけますし、特に西門町周辺ではゲイフレンドリーなバーやクラブがどんどん誕生していて、勢いを感じます。そんな環境に背を押されるように、筆者もSNSや職場でカミングアウト。より健やかに毎日を送れるようになった気がします。
政治に対する考え方も、大きく変わりました。
かつて38年間にもわたる戒厳令が発令されていたり、対岸にある中国との複雑な関係があったり。歴史的あるいは国際的な困難と向き合いながら、ようやく根付いた民主主義の自由を台湾の人々はとても大切にしていると常々感じます。この自由を再び失わないようにという意味でも、みなさん政治への関心が非常に高いと思います。
日本の選挙には、海外在住者に向けた郵便投票や在外公館での投票という選択肢が用意されていますが、台湾の選挙には台湾現地での投票しか用意されていません。にも関わらず、高額な航空券を買ってでも、台湾に帰って来て投票をする海外在住台湾人の方もたくさん。投票率もとても高く、台湾の未来を自分たちで決め、自分たちで守るという自覚が、選挙にかける熱意の表れなのかもしれません。
台湾の人々の姿勢を目の当たりにして以降、本当にガラリと考え方を改めました。「どうせ変わらないから」と最初から諦めるのではなく、社会を変えるためには「投票こそが個人の持つ最強の力なのだ」と捉えられるようになりました。「自由は空気のように当たり前にあるのではない」ことを、忘れないようにしたいですね。
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台湾在住ライターより、台湾移住実現までの道のりや、台北生活での気づきについてでした。
海外に出たからこそ見えてくるものは、必ずあるはず。日本のパスポート保有率の低さが話題になる昨今ですが、まずはぜひ旅行から、海外を、台湾を体験しに飛び出してみては?